草加せんべいで有名な草加市に、おくのほそ道の風景地である「草加松原」があります。今もなお、昔の雰囲気をつたえる風景は2013年に国指定名勝となりました。
草加松原はおくのほそ道に登場する「草加宿」の北側に位置し、江戸時代から「千本松原」と呼ばれる日光街道の名所の地でした。
松尾芭蕉が、おくのほそ道の旅に出たのは元禄2年(1689)のことです。当時の移動手段は”船”と”徒歩”。松尾芭蕉は、船で江戸深川から千住宿まで移動したのち、見送りにきた人々に別れを告げて、奥州へ向かって日光街道を歩きはじめます。
このエピソードを反映したものが、草加松原遊歩道の「札場河岸公園」にありました。北千住方面を振り返り、門弟や友人たちとの別れを惜しむ松尾芭蕉のブロンズ像です。松尾芭蕉の表情に心打たれながら松並木を歩いていくと「おくのほそ道」にちなんだ名称をもつ、ふたつの太鼓型の橋に出会いました。
まずひとつめは、おくのほそ道の文章冒頭にある「月日は百代の過客にして…」から名のついた「百代橋」。そしてもうひとつは「行く春や鳥啼き魚の目は泪、これを矢立の初めとして…」と、松尾芭蕉の俳句と文章からくる一文から「矢立橋」と名づけてありました。どちらの橋も高さがあるので、上からの松並木の眺めがよく、絶好のビュースポットとなっています。
現在、草加松原には旧日光街道沿いに、老樹を含めた約600本以上の松が植えられています。約1.5キロメートルもの松並木が続く遊歩道では、ウォーキングやマラソンなどをしながら景観を楽しむ姿が見られ、市民に愛されているのが伝わってきました。
今の草加松原を見たら、松尾芭蕉はどう感じるのでしょうか。今昔をつたえる草加松原で、名勝の遊歩道を散策するのも楽しいものです。