「自分の家を建てよう」と思ったら、普通、「建売住宅を買う」か、業者に「注文して建ててもらう」ことを意味すると思う。ところが、「自分の家を”自分の手”で建てよう」と思う人も、少なからずいるらしい。そんな話は外国のことだと思っていたけれど、日本にもそういう例があるという。約9年前から、東京で建設中だ。
その名も「蟻鱒鳶ル」。「アリマストンビル」と読む。まだ完成はしていない。建築家、岡啓輔さんが2005年11月に着工。地下1階地上3階の本格的鉄筋コンクリート造りの建物だ。専門業者に頼まず、重機も使わず、岡さんと手伝いの友人だけで作っているという。その工法にこだわりがあるらしい。ブログ「蟻鱒鳶ル保存会」によると「コンクリートは上質の砂とジャリを使い、水セメント比は37%、少しづつの量を箕で丁寧に型枠に入れ、一週間以上水をかけながら養生します。出来たコンクリートはギュッと詰まった感じです。」「蟻鱒鳶ル」のコンクリートは200年もつという専門家もいるらしい。
建築についての知識が全くない私にとって、「ギュッと詰まった感じ」のコンクリートの「質」的特徴はあまりよく分からない。ただ、散歩途中にこの建物を目にすると、ちょっとびっくりする。大使館がちらほらする瀟洒なマンション群の中に、コンクリートの塊のようなビルが現れるからだ。私が訪ねた2014年7月、1、2階にはコンクリートの壁があるが、窓も扉もまだとりつけられていない。穴があいているだけだ。その穴は言葉で表現しにくい奇妙な形をしている。コンクリートの壁には、いろいろな装飾が施されているが、これも言葉では表現しにくい。時計内部の歯車みたいな形の装飾もあれば、浮彫彫刻みたいに壁面に彫り込まれている装飾もある。3階建位の高さの建物の上層部分は鉄筋がむき出し、天井はまだできていない。
このビルの最初の着想はフランドルの画家、ブリューゲルの「バベルの塔」のイメージ、と岡さんは言っている。「バベルの塔」は人間が天までとどく塔を作ろうとして、神の怒りに触れてして崩れてしまった、旧約聖書の物語だ。このイメージをもとに、岡さんはビルのプランを若手建築家のコンペティション「SDレビュー2003」に応募・受賞し、その後建築確認を得て着工したという。ともあれ建築確認を得ているから「蟻鱒鳶ル」が神の怒りに触れることも、法に触れる心配もないだろう。ところが最近「再開発」という名の危機に直面しているという。
訪れるたびに変化している「蟻鱒鳶ル」の姿は、さながら「植物のように」成長している。今後ビル界隈の「再開発」の影響をどのように受けることになるのかわからないが、家を建てるプロセスを楽しむ建築家、岡啓輔さんの試みを温かく見守ってくれるような、懐の深い「再開発」であってほしいと思う。文化を育むことは、植物を育てるようなものだと思う。岡さんの挑戦を応援していきたい。