千鳥ヶ淵緑道

異人たちの足跡 20 アーネスト・サトウの桜

千鳥ヶ淵緑道は、都内有数の桜の名所で、開花から1週間ほどの間に、毎年約100万人もの花見客が訪れる。全長770m、皇居北西側のお堀端に、260本の桜が咲き誇り、人々の目を楽しませてくれる。

千鳥ヶ淵緑道

緑道では、ソメイヨシノを始め、シダレザクラ、オオシマザクラ、サトザクラなどが、少しずつ開花の時期をずらしながら満開を迎える。散り際の花もあれば、蕾がほころび始めた花もあり、とりどりの色と花弁の違いが、それぞれに美しい。花をつけたソメイヨシノの枝は、大きくお堀に張り出して、淡い桃色の花が緑に映える。時折吹く風は、気まぐれに花を散らして、桜を少しでも長く楽しみたい人々を一瞬悲しませるのだが、同時にそれは、目の前を桜色に染める華やかな風景でもある。この時期、人の波が絶え間なく続くため、座ってじっくりお花見という気分にはならないが、桜に心を奪われながら、そぞろ歩きをするのは楽しい。

桜と英国大使館

千鳥ヶ淵緑道と平行して走る車道の向かいには、英国大使館がある。その英国大使館側の側道にもソメイヨシノの並木があって、ここも人気のお花見スポットである。この桜の小道は、1898(明治31)年に、当時の駐日全権特命英国公使アーネスト・サトウ(公使としての在任期間は1895(明治28)年-1900(明治33)年であるが、1862(文久2)年に通訳生として横浜に赴任した)が、公使館前の空き地に植えて、東京の市民に寄贈した桜を起源としている。ソメイヨシノは江戸時代後期に人工交配して作られた品種で、明治以降に全国に広がったと言われているが、サトウはこの新品種、ソメイヨシノを大変に好んだ。引退後に住んだ英国のオタリー・セント・メリーの屋敷(ボーモントハウス)にも、日本から取り寄せたソメイヨシノを植えて、毎年、花を楽しみにしていたほどだ。残念ながら、サトウが植えた公使館前の桜は、第二次世界大戦の東京大空襲で焼失してしまったが、戦後、同じ場所に植えられたソメイヨシノが、今日、サトウの桜に代わって、私たちに春を届けてくれる。

晩年のサトウ

サトウは、公式には生涯独身だったが、日本には事実上の家族がいた。次男で後に植物学者になった武田久吉は、日本から英国へ、サトウの希望する植物を送ったとされる。サトウが晩年を過ごしたボーモントハウスのソメイヨシノも、おそらく久吉が手配したものであろう。サトウがボーモントハウスで書いた友人(ディキンス夫人)宛の手紙の中に、庭の桜について触れた部分がある。

『1918(大正7)年5月26日

月日の経つのは何と早いことでしょう。ちょっと前まで花壇にあふれていたクロッカスや他の花々も、今はしおれて、ただの枯葉になってしまいました。桜の花は散り、楡の葉も夏色の深緑に変わりました。またすぐに、秋と冬がやって来るのでしょう。そうして、私は次の春を迎えることができるのか、不安な気持ちになるのです。でも、そう思ったからといって別にふさぎ込んだりするわけではありません。ただ、昔のような力がなくなったと痛感して・・・』

サトウはこの手紙を書きながら、桜の花のはかなさを想っていたかもしれない。一年のうち、たった一週間だけ花をつけ、潔く散る桜。日本人の心は、桜が見せてくれる『一瞬の輝きと散り際の美しさ』を尊ぶのだ。サトウにも、もしかしたらそんな気持ちがあったのかもしれない。千鳥ヶ淵の桜並木を歩きながら、ふとそんなことを思った。

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