白川郷最大の合掌造り民家 和田家住宅

江戸時代の有力村民の暮らしを垣間みる

Tomoko Kamishima   2015/06/08によって

和田家は、代々、庄屋や番所役人などを務めた白川郷の有力者でした。その和田家の家屋、板蔵・稲架小屋などが、一部公開されており、江戸時代の有力村民の暮らしを垣間みることができます。

1573(天正元)年以来、和田家の当主は与右衛門という名前を継承して、家系を守ってきました。耕作できる土地が乏しい白川郷では、自給自足の暮らしの中で、現金収入の源として養蚕を行ってきました。養蚕には多くの人手が必要です。白川郷では分家を許さず、長男だけが結婚して家を継承し、次男以下の男子は、女性のもとへ通う妻問い婚を行いました。子どもができた場合は、将来の働き手として女性の家で大切に育てられました。

また、周囲から隔絶された白川郷では、黒色火薬の原料となる煙硝(焔硝)の製造が秘密裡に行われていました。和田家では、各家の床下で数年かけて作った煙硝を、取りまとめて取引する役割を担っていました。

合掌造りの家は、非常に合理的で機能的です。床下で煙硝作り、1階が生活の場、上階が養蚕の場として使われました。生活の場の中心には囲炉裏があり、煮炊きや暖をとるための火が、毎日屋根や柱をいぶして、家の構造を乾燥強化します。また、急勾配の屋根は、雪が滑り落ちやすいだけでなく、広い面積で太陽の熱をとらえて雪を溶かします。さらに、屋根は丸太を組んで木の蔓で縛っているだけの構造であり、大風や地震による揺れを逃がします。

ところで、豪雪地帯にある白川郷では、春になると、傷んだ屋根の一部を補修する作業が行われます。大規模な葺き替えは30-50年に一度とされていますが、最も傷みやすい屋根の結合部分の棟茅替えや、一部分だけ補修する差茅作業は、春になると適宜行われます。和田家の板蔵は、屋根の補修用の茅の保存や農具の保管の場として、現在も使用されています。

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Tomoko Kamishima

Tomoko Kamishima @tomoko.kamishima

Japan is a small island nation, but we have a huge number of surprising things to discover here. Many of these delights can be found when you step off the main street onto small side paths. I really enjoy studying about and researching various aspects of traditional Japanese culture, and then sharing this information with visitors to Japan. I hope you will enjoy it, too! ARTICLE INDEX & PHOTOS:  An index of most of my Japan Travel articles can be found at the entry page of my blog, and my photos are shown here.  日本はとても小さな国ですが、大通りから一本小道に入ればたくさんの発見があります。日本人が積み重ねてきた歴史を学びながら、古い建物や庭を訪ね、物語の舞台となった景色を眺めて、皆様といっしょに日本文化の奥深さを探求していきたいと思います。

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