日光 イタリア大使館別荘記念公園

異人たちの足跡 19 アントニン・レーモンド

Tomoko Kamishima   2012/12/10によって

日光中禅寺湖畔に立つ美しいコテージ、イタリア大使館別荘は、栃木県が取得修復して、記念公園として公開している。この別荘は、1928(昭和3)年にアメリカ人建築家、アントニン・レーモンド(Antonin Raymond)が設計したもので、1997(平成9)年まで歴代のイタリア大使が使用していた。

最寄りのバス停(立木観音入口)から、中禅寺を左手に見て湖畔の小道を行くと、途中、フランス大使館、ベルギー大使館、旧イギリス大使館の別荘を通り過ぎる。かつて近隣の人々はこう揶揄したものである。『蒸し暑い夏がやってくると、大使館は東京から日光に逃げてくる。』

記念公園

敷地内はよく整備され、緩やかな丘を囲む遊歩道があって歩きやすい。木立の合間には芝が敷かれ、適度な間隔でベンチもある。建物は、本邸と副邸の二棟があり、大使たちが使用していた本邸は湖岸に面している。その本邸のすぐ前から桟橋が伸びていて、ボートやヨットに乗って、一家が気軽に湖で船遊びを楽しんでいたことがわかる。桟橋の北にあるウッドデッキの先端に立ち、穏やかな風に吹かれていると、この雄大な景色は、きっと大使たちの時代から変わりがないのだろうと思った。

旧イタリア大使館本邸

外壁は杉皮張りの市松模様で、内装も、大きさや傾きを変えながら大小の同パターンが繰り返されている。建築家レーモンドは、この美しいパターンを作るために、日光杉と竹をふんだんに用いた。一階はパブリックスペースで、ダイニング、リビング、および書斎がある。湖畔に面した広い縁側は、窓を開け放てばベランダとなり、眼前に湖面が迫る。ソファにゆったりと体を預け、読書の合間に、さざ波立つ湖に反射する光や、流れる雲をぼんやりと眺めるにはこの上ない空間だ。二階には眺望室と名付けられた寝室が3つある。ここに泊まって、夕陽に染まる湖や、明け方の群青色の空を眺めて過ごす夏の日はどんなにすばらしいだろう。

イタリア大使たちの夏の過ごし方

大使とその家族は、蒸し暑い東京の夏から逃れ、木の香漂う別荘に来ると、森の中を歩いたり、鱒釣りをしたり、船遊びをしたりした。男体山ヨットレースは毎週のように開催され、各国大使はこぞって参加した。別荘の行き来や買い物など、夫人や子供たちも日常的にボートに乗って出かけた。造形美のみならず、快適な居住性を備えたこの建物は、歴代の大使やその家族たちから大いに愛された。忙しい大使が短い避暑を終えて帰京しても、家族たちはここに残り、夏の日光を楽しんだという。

来日前のレーモンド

レーモンドは1888(明治21)年にオーストリア領のクラドノ(現チェコ共和国)に生まれた。当時の名前はアントニン・ライマンであった。プラハ工科大学で建築学を学び、1910(明治43)年にアメリカに渡ったが、保守的なアメリカの建築界に失望し、1914(大正3)年4月より、画家を志してイタリア各地に滞在した。しかしその4ヶ月後、第一次世界大戦が勃発し、レーモンドはやむなくニューヨーク行きの最後の帰還船に乗る。その船上で、生涯の伴侶となるノエミ・ペルネッサンに出会うのだ。二人はニューヨークで結婚し、ともに建築と暮らしのデザインという仕事を手がけていく。1916(大正5)年、アメリカの市民権を得るとともに、ライマンからレーモンドに改名した。

フランク・ロイド・ライトとレーモンド

ノエミの友人を介して、レーモンドはフランク・ロイド・ライトに紹介され、1916年の3月から12月までタリアセンで働いた。後にライトが東京帝国ホテルを設計することになると、レーモンド夫妻はライトとともに来日した。1962(昭和32)年のAn architect’s memory『追想』に、レーモンドはこう書いている。

「私は、ライトが多数の日本の美術品を所有しているのを見つけた。彼の持つ最高の日本の版画や、彫刻、陶器、織物のすばらしい蒐集品を見て、もう心に決めていた日本へ行く希望はさらに増した。そして、自分ではこの不思議な民族と、つながりがあるように思っていたのである。」

しかし1921(大正10)年、レーモンドは帝国ホテルの完成を待たずに、ライトの許を離れた。ライトの言葉を借りれば、レーモンドは「建築について自分自身の言葉を獲得した」と言い、ライトは「私の作品にどこか似せたものを日本に移植することは断固拒絶する」と返答した。結果的に、レーモンドは日本で独自の建築スタイルを展開することになる。

日本での仕事

1926(大正15)年の横浜のエリスマン邸は、ライトから独立して間もない時代の設計であり、後にレーモンドが「建築は単純を尊ぶ」と表現することになる、清楚で素朴なデザインである。一方、1928(昭和3)年の日光イタリア大使館別荘では、杉皮材や竹を用いて「自然の美」を生かしたことと、広縁を大きくとって室内外の融合を試みた「自然への近接性」が特徴である。また、1955(昭和30)年から6年の歳月を費やして完成した群馬音楽センターは、「経済性」を重視し、薄い打放しのコンクリートによる折版構造を用いている。美しさと実用性を兼備したレーモンドの建物は、風景との調和という点でも、各地で高い評価を受けている。

日光中禅寺湖の東岸に立つ旧イタリア大使館別荘は、今も明治時代の避暑地の面影を残している。夏に日光を訪れたなら、ここでレーモンドが生み出した最初期の和モダンを味わってみてはいかがだろうか。

Tomoko Kamishimaさんによって書かれました。
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