横浜外国人墓地

歴史的雰囲気を楽しもう

横浜には、いくつか外国人墓地がある。その中でも一番大きいのが元町近くの横浜外国人墓地で、天候にもよるが3月から12月の週末・祝日のみ、12時~16時まで一般公開されている。この墓地の正門近くには、小さいがとても興味深い資料館があり、年間を通じて毎日開館している。墓地に入れる機会は限られているが、黒く低いフェンスがあるだけなので、中に入れずとも周辺を歩きながら覗き込むことができる。墓がごく近くに見える場所もあり、そこからは墓石に刻まれた墓標まで読むことができる。

美しいみなとみらいエリアを臨む小高い丘に作られたこの墓地では、1923年の関東大震災により沢山の墓が倒壊した。皮肉なことに、この震災により墓地に埋葬される死者数は倍増、敷地20,000平方メートルと広大だが、現在ほぼ満杯の状態である。驚くべきことに、2011年3月11日に起こった東北大震災でも墓石のいくつかが倒壊した。この墓地は1854年、ペリーの黒船艦隊来航時に乗船していた水兵が墜死した際作られ、その数年後の1861年、江戸幕府により外国人専用の墓域として指定された。その頃になると幕府役人たちも、日本に永住する外国人居留者の中には日本で亡くなる人々もいて、彼等の永眠のためにキリスト教式の墓地の建設は不可欠であるとはっきり分かってきたのである。墓地に眠る外国人の出身地はさまざまで、イギリス、ロシア、アメリカ、オランダなど、計40カ国の外国人たちが埋葬されている。4,500ある墓に眠るのは、政府お雇い外国人、宣教師、教師、記者、貿易商人、船乗り、兵隊などだ。

ここには異人達と共にたくさんの歴史が眠っている。墓地を歩いていると、150年前の横浜の生活はどんなだったろうと、ふと思いを馳せずにはいられない。活気ある港町だったに違いないが、まだまだ未開拓で、緑の水田に囲まれた汚染という言葉すら知らない横浜港の景色は実に美しかっただろう。資料館には当時の横浜外国人社会における著名人達の写真や紹介文がパネルで綺麗に展示されている。

根岸外国人墓地は山手駅から目と鼻の先だ。約1,200人の外国人が埋葬されているが、実際墓石があるのは160人だけだ。その中のいくつかは100年以上も前のものである。多くの遺体が身元不明で、その理由の一つは1923年の関東大震災、もう一つが夥しい犠牲者を出した第二次世界大戦中の激しい空襲である。とても静かで落ち着いた場所だが、坂を見上げると仲尾台中学校があり、教師が生徒たちを教える声や休憩時間中の男女生徒の楽しげな笑い声が時折聞こえ、寂しさを紛らわせている。桜の季節にはとても美しい。万里の波頭を越え辺境の地に辿り着いた異人達が最後に到達した、穏やかな永眠の地である。

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