火山の国、日本。
小さな島国とはいえ、その地下には網脈のように火山のマグマ脈が走り、活火山は全国にある。
有名な温泉地を上げろと言われれば、別府、由布院、草津、登別、熱海、伊東、指宿、箱根、那須、霧島。
これらは湧出量も源泉数も多い全国有数の温泉地だ。
それには数値的には劣るかもしれないが、泉水質、周囲の風情などを加味すれば負けるとも劣らない温泉地が全国津々浦々にあまねく存在する。
福井・あわら温泉もそういう魅力的な温泉地である。
温泉というとそのマグマの熱が地下水脈を温め、それが湧出したものと思われがちだ。
しかし世界的にみても天然温泉の多くは実は地下増温率で熱せられた水の湧出であると言われている。
その地下増温率は何だろうか。
それは地熱そのものだ。
地下に百メートル下がると温度は摂氏3度上昇する。
1500メートル地下の温度は45度だ。
ということは1500メートル地下にある水脈は最低でも摂氏45度あるということになる。
だが温度が高いだけでは温泉とは言えない。
水温が25度以上あるか、またはその含有成分として鉱水1Kg中に定められた量以上(1000mg)の物質が含まれているものを温泉と定めている(温泉法)。
地下水脈は地表に降り注いだ雨が地下深く浸透したものである。
その水脈へは地表からの雨水が継続的に浸透している。
堆積層や岩盤を透過していく間に雨水はそれらの岩石から鉱物を溶解吸収してミネラルをたっぷり含む鉱水となる。
その鉱物イオンの内容の差が各地の温泉の個性の違いとなって現れているのである。
さらにそれらの鉱物イオンの効力が温泉のもう一つの魅力だ。
薬を持たない野生動物は奥深い山間の湧出温泉で自らの自然治癒力を高め怪我を治すと言われている。
人間も同様で、疾病や外傷は免疫力を上げることが快復の何よりの手立てだ。
温泉にはその効力がある。ただしそのイオン効果は24時間ほどしか持続しないので定期的に温泉浴をしなければならない。
時は明治。場所は福井県芦原。
百三十余年前の明治十六年(1883年)の夏はとりわけ酷暑であった。
春から雨が降らず日照りに苦しむ十楽村(現・芦原町)の地主・川崎弥左衛門らは全会一致で灌漑用の井戸を掘ることを決議した。
掘り師、陶山甚兵衛が井戸掘りに四十メートルほど地下に刺した管の栓を外すと、かんがい用水の代わりに出たのは温泉だった。
念仏田に温泉が湧いた、という知らせは近隣にあっという間に知れ渡った。
翌年の明治十七年(1884年)には田中々村、舟津村、二面村の水田で摂氏六十度超の温泉が湧出。
時の行政府はその二年後(1886)、温泉の試掘を制限した。
現在の源泉数は74本である。
あわら温泉には大小33軒の旅館があるが、すべて源泉(元湯)を持っている。
そしてその泉質はみな異なる。それは地下の地層の違いだ。
火山岩層、堆積岩層が幾層にもパイ生地のように重なっているために地下水に溶融されるミネラル分が異なってくるのだ。
あわら温泉に沐浴したいという住民の要望実現は総湯建設によってである。その総湯の流れを受け継いであわら市は「セントピアあわら」を開設した。
斬新モダンなデザインの建物はカフェテリアや和室を備える露天風呂付きの公衆浴場である。
タオルは持参する必要があるが、ハンドタオルは有料、バスタオルは有料レンタルだ。
あわら温泉は塩化物泉である。
三国温泉ほどナトリウムは多くないから、浸かるととろりと肌触りが良い。時間が許せるのなら湯船を出たり入ったりを繰り返し2,3時間は滞在したいところだ。
福井を訪れる観光客はもちろんあわら温泉の旅館に宿泊するのがいろいろな点で楽しみが大きい。
だが日帰りの場合でも、このような総湯で温泉を楽しめることを情報に持っていれば福井の旅は一層快適なものになる。