福井平野を流れる九頭竜川の中流域あたり、天池橋と高屋橋の間に「中角(なかつの)歩道橋」という真新しい橋が架かっている。
中角は、全国有数の桜鱒釣りのポイントとして釣り人たちには知られた地名だ。
この中角橋は、かつてはコンクリートの橋脚をもって自動車も交互に通れた橋だった。
明治初期にこの中角に木橋がかかったのが最初の中角橋である。
昭和に入ってコンクリート橋に架け替えられたが昭和23年の福井大震災で陥落。
直後翌年に架けられて現在に至っている。
しかし、50余年の時を経て、内部の鉄筋がさびて表面に染み出し、その赤錆で橋の欄干も路面も赤茶けた無残な姿を長らく晒(さら)したままだった。
加えて2004年7月の福井豪雨である。
1万軒を越える家屋が浸水した大雨は、足羽川だけではなく九頭竜川でも氾濫こそしなかったものの、支流の堤防の低い、あるいは弱い川は水が堤防を越えて農地を浸した。
中角橋も橋そのものが流されるというようなことはなかったが、そこかしこに待ったなしの損傷を受けて、改修工事が余儀なくされた。
九頭竜川の高屋から中角までは堤防の北側をクルマが走れる。
そのクルマの流れは中角橋でさばくのではなく、天池橋につなぐことで、この中角橋は本物の歩道橋になった。
タワー(主塔)からケーブルで桁を吊る「斜張橋」方式である。
歩行者専用だ。
自動車は通れない。
自転車は通れる。
橋の中央部にはふくらみがあって、そこにベンチがしつらえてある。
腰をおろして下流を眺むれば、西側に越前鉄道の電車が1両ゆっくりとごとごと鉄橋を鳴らしながら渡ってゆく様が楽しめる。
東には天池橋のかなたに奥越の山並みが薄青く霞んでいる。
土手は菜の花の黄色一面に覆われている。
土手の雑木林の茂みあたりからは小鳥のさえずりがうららかな春の日差しにつつまれて立ち上ってくる。
薫風が首筋をなでていく。
クルマの音は聞こえない。
夜はジョガーが走っている。
9時までライトアップしているのでとても明るい。
9時を過ぎると蛍光灯の青白い明かりだけになるが暗くはない。
こういう橋を作ると、車利用者からは、「ただでさえ橋が少なくて朝夕混むのに、なんで不経済な橋を建てるんだ」という不満が必ず出る。
事実そうだろう。
しかし、こういう「無駄」は私はあっていいと思う。
「弱い老人や子供」には優しい橋だ。
今日みたいな暖かい春の晴れの週末あたりは、乳飲み子を抱きかかえた父親とそれに寄り添って歩く幸せいっぱいの母親のほほえみが見られるはずだ。
デジタルの時代、全てが効率優先で動く世にあって、こういうアナログの価値はひときわ重い。
中角のアナログだ。
外見だけでなく秘めたるものも美しい橋である。