京都の夜。
しかも祇園の夜。
そう聞いただけでふつふつと泡立つような興奮を覚える。
尤も私は、祇園という言葉がほのめかす妖艶や媚態の祇園を知っているわけではない。
座敷で三味線、舞い踊り、さては差しつ差されつの芸妓遊びは別世界の出来事だ。
私には、優秀な料理技術を持ったシェフがいるレストランを訪れることこそ最大で最高の喜びなのである。
そのような訳で、今宵も祇園の名店へといそいそ出かけて行った。
四条河原町を東に進み鴨川を渡ると「京都歌舞伎座」が見えてくる。
歌舞伎座を過ぎたら狭い路地を右に折れ、しばらく南下して建仁寺へ通じる路地を左に入ると目指す店は、白い暖簾をライトに照らして宵闇に浮かびあがっていた。
「グレロ( Grelot )」。フランス語で「鈴」を意味する語である。
これにはエピソードがある。
グレロの前はこの店は「小料理屋 小鈴」だったそうだ。
その店名をつなげ残したいと現オーナーシェフ前田朋氏はGrelot と命名したという。
その逸話を知り私は胸がじんわりと暖かくなった。
人の繋がりという人生の最も大切なものを知っている人だと思ったからである。
いろいろなレストランを訪ね多くの料理人と出会い数多の料理を食べてきたところから言えることは、料理にはその料理人の全てが反映されている、ということだ。
プロの料理に正確で高度な料理技術が求められるのは大前提として、その料理人の心の有りようや生き方がその仕事である料理の一皿ひとさらに反映されるのはしごく当然なことである。
グレロのドアを開けると、およそ6畳ほどの小さな空間はカウンターテーブルで2つに仕切られている。ホール側には椅子が6脚。その向こうには厨房。
つまり、グレロでは前田シェフの手さばきの始終を観ながら食するということになる。
料理やワインを供するために近寄ってくるシェフとの距離は最近で70センチ。
彼の笑顔も暖かさをたたえた目もくっきりと見える距離だ。
この距離の近さは、自身の料理とそれを食べに来てくれるお客との両方に求める前田氏の意図だったという。
くつろいだ和やかさの漂う店内の空気にあって、料理は高度さを極めたフランス料理の伝統技法に支えられて、どのメニューを食べても作り込みに隙がない。
そしてそれらがまた構えていないのである。
柔らかい深みのソース。
食材に通っている熱の加減。
潜んでいる調味料や食材のさりげなさ。
この「グレロ」は何度でも通いたいと心底思う店だ。
こういう店にはなかなか出会えない。
そして行くたびに二言三言交わす言葉でシェフの人間性に触れてさらに嬉しくなる。
人生の妙味が何かと訊かれたら、「人とのふれあい」だと私は答えたい。
グレロの素晴らしさは其処に在る。
料理の素晴らしさとそれを味わえる楽しさをグレロのカウンター席であなたは堪能できるはずである。