オーストラリアのメルボルンで大学生活を送っていた時代、私はフリーランスの音楽ライヴ記者として、あらゆるフェスを駆け巡っていた。だが、これほどワクワクしてフェスレポートを書き留めたことはなかった。それが、フジロックフェスティバルだ。今年で20周年だが、ますます良くなっている。数日間にわたり、インターナショナルな顔触れの出演者たちが並ぶ。ジェイムス・ブレイク、ベック、シガー・ロス・・・それにレッド・ホット・チリ・ペッパーズ!!
木曜夜に到着すると、キャンプサイトはすでに半分ほど埋まっていただろうか。しかし熱気は空前の高さ。多くのパーティーピープルたちが依然とビールをあおっていて、温かい蕎麦を食べたりいい雰囲気に浸ったりしていた。おそらく金曜の午前1時だっただろう、メインのフェス自体はまだ始まってもいなかったが、明らかに群衆はすでにウズウズしていた。
金曜の朝がやって来た。フェス会場へ直行だ!午後12時50分、スコットランドのロックバンド、ビッフィ・クライロがグリーン・ステージに出ると、すでに熱気だっていた観衆に早速メドレーで応戦。この時点で、あることに気づき面白く思った。人々がステージ前に小さくかたまり陣取って、空にこぶしを突き上げるのに準備万端な一方で、他のみんなは後ろの方で折畳イスに腰掛けていた。実に不思議で不可解な行動だ。どうやって盛り上がることができるんだろうか?座りながら・・・?これが日本の通常のフェスの作法なんだろうか?私はどうしてもこのスタイルには同意できず、ライブがあっている前方・中央へ行かなければならなかった。
金曜夜、グリーン・ステージではジェイムス・ブレイクとシガー・ロスが順に登場。両者とも私が観るのは2度目だったが、それでもパワフルで記憶に残る曲目だった。前者、ジェイムス・ブレイクについては、iPodで聴くのと生で観るのとでは大違い。朝の通勤時に聴くブレイクは気分がくつろげるものだ。だが、ライヴで観るブレイクはまるで別物。「リミット・トゥ・ユア・ラヴ」のような曲でもはっきりと分かるが、フロア中に響き渡るコーラスに寄り添うようなベース、もうこれは冗談じゃなく本気で鳥肌が立った。シガー・ロスもそうだ。このバンドは、雰囲気満点の、現世とは思えない美しいメロディーで有名だ。その夜は、このアイスランドのバンドの象徴的なサウンドと、万華鏡のように絶えず変化する見事なヴィジュアル効果のコンビネーションだった。
公演の合間には、様々な見どころがあった。ステージ間を散歩すると、森のど真ん中に奇抜な吊るし天井を目にするだろう。夜にこの同じ道を通ると、なおさらいい。ディスコボールの光が森の隅々に跳ね返って、いっそう魅惑的な空間になるのだ。人々が実にくつろいでいて非常に面白い場所のひとつが、一種のスピーゲルテント(エンターテイメント用の大きな移動式テント)であるクリスタルパレステントだ。ここでは、選りすぐりのバンドとDJたちが、他のどのステージよりも熱狂に包まれた群衆たちにパフォーマンスをする。その一つがバンデラス。日本のバンドで、ラテン、キューバ、サルサなどをミックスし、病みつきにさせるような音楽を作り出す。さらにスパイスを添えるように、日本人のゲストダンサー・サエコも迎える。ダンスフロアを滑るように、さっそうと踊り回る彼女。軽快な足さばきが、夜の賑やかなメロディーと息を合わせる。
ベックはフジロック2回目の出演で、土曜に2番手で登場。フェスが20周年ということで、彼にとってはさらに特別なものとなった。セットリストは、虜になるようなコーラスの「ルーザー」から、ぐっと沈ませ思いにふけるような「エブリバディズ・ガッタ・ラーン・サムタイム」まで、緩急そして陰と陽のコントラストだった。ベックが日本でのおそらく彼史上最高のライヴを終えると、グレン・ミラー・オーケストラがステージを引き継ぐ。セレナーデでみんなを深夜へ誘い、終演時にはパフォーマーの一人が轟くように「サンキューベイベー!!」と声を響かせた。
日曜は疑いなく、フジロック20周年の最高にエキサイティングなライヴで盛りだくさんだった。ウェールズ出身ロックバンドのステレオフォニックス、グラミー受賞ジャズピアニストのロバート・グラスパー、それからベビーメタルもいる。ベビーメタルについては、何と言ったらいいだろうか。このバンドは確かに以前聴いたことがあるが、ライヴで観るとなにか妙に複雑な気持ちがかき立てられた。このバンドが持つ血走るようリフはいわばスリップノットのようだが、ボーカルは3人の華奢な、ロリータファッションの女の子たち。メルボルン時代に一日で四季を体験した以来、私は今まで、こういった葛藤する感情を自分の中に感じることはなかった。彼女らのライヴが終わっても、私は果たして自分がそのパフォーマンスを楽しんだのかどうか、思い切れずにいた。
そしてもちろん、フジロック2016の壮大さは、レッチリなしには存在しないだろう。彼らは、メンバーのほとんどが40代だということをもってしても、その活動期間を経た今、音楽業界のベテランであることを証明してみせた。無類の力強さとみなぎる精力は、90年代から2000年代前半における最高潮のレッチリを彷彿させた。その場にいたならはっきりと見ることができただろう--観客たちが、ステージ前に立っている者もイスに座っている者も、皆が揃って「カリフォルニケイション」を歌いハーモニーを作り出していた様子を。フェスの観客は、みなが音楽的にも違う年代に生まれたであろうが、レッチリが演奏すれば、それに合わせて歌うことはまさにほぼ義務だといっていい。
レッチリの後は、フェスも終盤、人もはけ始める。みんなは自分の車のほうへ向かい、東京へと戻って行く。私の足は水ぶくれ、ここ数日は睡眠不足、飲んだアルコールで頭がフラフラだったが、私はここ長い間の中で、完璧に最高の時間を過ごした。3日間いい天気だったこと、そして総合的に素晴らしいフェス体験に感謝している。だからそう、私が言えることはこうだ・・・。「サンキューベイベー!」