長い間、人間の進入を拒んできた激流・大谷川を越えて、初めて男体山(なんたいさん2486m)の山頂を極めたのは下野薬師寺で受戒した僧、勝道上人でした。上人は、767(神護景雲元)年に二荒山(男体山に同じ)神社本宮を祀り、以来、日光は山岳信仰の拠点として、多くの修行者を受け入れました。
1616(元和2)年に静岡で亡くなった徳川家康は、翌1617(元和3)年に、天台密教の僧侶・天海によって、江戸の守護神としてこの地に祀られました。1636(寛永13)年、孫の徳川家光が将軍になると、日光東照宮に大々的な造替が施され、現在のような、無数の彫刻を施した絢爛豪華な社殿が造られました。家光は1651(慶安4)年に江戸城内で亡くなりましたが、遺言によりその遺骸は日光に移され、死後も家康に仕えたいと、1653(承応元)年に大猷院(たいゆういん)が造営されました。