山中温泉の「ゆげ街道」の路傍に「山中片岡鶴太郎工藝館」の緑の看板を掲げる建物がある。
この石造りの美しいビルが1999年(平成11年)に文化庁の登録有形文化財に指定されたのは、遡ること80余年、昭和初期の優雅なモダニズムの建築美を湛えているからである。
昭和6年にこの山中温泉を襲った大火の後に、山中漆器を商う山岡家がその社屋として建築したものであった。
有形文化財指定を機に山中の地の美しさを表現できるものを模索する中、当主山岡氏が懇意にしていた片岡鶴太郎氏の芸術に惚れ、片岡氏の美術作品を核に展示するミュージアムを開設した。
入口をくぐるとショップの奥にミュージアム入口、左手にカフェがある。
建物の内部全体に楚々とした風情が漂う。
このゆげ街道沿いには素敵なカフェがいくつもあるが、この「片岡鶴太郎ミュージアムカフェ」も私の気に入りの一店だ。
カフェに入ると、すぐホールの奥正面に大きな「龍」の絵が視線を釘付けにする。
身をくねらせ愛嬌のある眼をこちらに向けた龍が碧翆(へきすい)の宙を舞っている。
絵の大きさもさることながら、片岡鶴太郎氏の画家としての才に改めて感服した。
コメディアンとしてショービジネスの世界に表れた彼は、通称「鶴ちゃん」の名で長く親しまれてきた。
物まねで笑いを取り、多くの映画やテレビドラマに出演してキネマ助演男優賞など俳優としても確固たる地位を築いてきたかに見える彼だが、
「自分は物まねも中途半端だし、お笑いではたけしさんやさんまさんにはかなわない。コントには志村さんがいる。だから、俳優に行くしかない」と語ったとか。
プロボクサー転向を突然宣言したりで彼の芸能人としての道は一途ではなかった。
しかし、人の人生で無駄な経験は一つも無いと私は思うのだ。
『志功の青春記 おらあゴッホだ』(1989年のドラマ)で若き棟方志功を演じた鶴ちゃん。
大阪万博の「太陽の塔」の製作者で知られる前衛芸術家・岡本太郎とバラエティ番組「鶴太郎のテレもんじゃ」で、共演したことから彼は岡本と知り合った。
「鶴ちゃん、君の芸術は素晴らしいよ。
最高だよ。
とことんやりなさい。
芸術は爆発だあ!」
と、言ったかどうか。
いずれにせよ、この一連の出会いの時期は、彼をもはやタレント鶴ちゃんでなく画家「片岡鶴太郎」として踏み出してゆこうとする彼の背中を力強く押すものだった。
神様は自分を信じその可能性を真剣に模索する者には二物も三物もお与えになる。コメディアン、歌手、俳優、そして芸術家として片岡鶴太郎は自身の人生をこよなく愛し愉しんでいるようである。
そんな彼が紆余曲折の自身の半生を投影しつつ表す作品に私たちは触れ、刹那の楽しみを胸にしまい込む。
東京から六百キロも離れた山間の温泉郷で「片岡鶴太郎」芸術、というのは直截的には結び付きにくい。だが、芸術はパッションである。熱情のほとばしりは時空を超える。
カフェで美味しい抹茶の薄苦みを舌に転がしながら、龍の「ほとばしる」熱さを視線でなぞるのも、これ一興である。