多くの武勇伝を残し、信義に篤い人格者として『三国志』に描かれた関羽(かんう:?-220)は、死後に神格化され、世界各地の関帝廟に祀られています。横浜中華街でも、開港直後の1862(文久2)年に、木像の関帝が小さな祠に祀られました。それから150余年、異国で暮らす華僑の人々の心の拠り所となってきました。今日では商売繁盛の神として信仰を集めていますが、観光で訪れる人も多く、風水マニアの間でも人気のスポットです。
中華街の中心・関帝廟
初めて横浜の中華街を訪れた人は、地図をもっていても目的地にたどり着けないことが多いようです。それは、中華街の門の、外と内では道が45度ずれているためです。中華街の外では、道は東西南北に伸びていますが、門の中ではメインストリートが、すべて北西から南東へと伸びているのです。東西南北の境界にある4つの門と、中心部にある5つの門、JR石川町の近くにある小さい1つの門を含めれば、合計10基もの門があるので、どの門から入ったのかを正確に覚えていないと、帰り道を探すのに苦慮することになります。
そこで、関帝廟の位置を見てみましょう。手元の地図を広げて朝陽門(東)と延平門(西)を結んでみてください。次に、朱雀門(南)と玄武門(北)を結びます。すると、ほぼその交点に関帝廟があることがわかります。
関帝廟と関羽
関羽は、中国後漢末の時代に活躍した実在の将軍で、文武に秀で、勇敢で、忠誠心の高い人物として知られています。また信義に厚かったことから、信用を第一とするビジネスの世界では、商売の神として崇められるようになりました。
1871(文久2)年の横浜の英字写真新聞The Far Eastには、関帝廟の開廟式が行われ、たいへん盛況だったという記事が見えます。関帝廟は、その後、関東大震災や第二次世界大戦の横浜空襲、火災などで倒壊、焼失を繰り返しますが、その度に華僑の浄財で復活し、美しい堂舎が蘇りました。関羽によせる人々の信仰の厚さを物語るエピソードです。
関帝廟参拝
関帝廟の前に立ってその門を見上げれば、屋根の上には美しいガラスアートの龍が乗り、四方を睥睨しています。中に入ると純白の階段に昇り龍の彫刻。これらの精巧な装飾は、台湾の匠工の手よるものです。
廟舎を守るのは石の獅子。石材は台湾から取り寄せ、鎌倉の石工が彫ったものであると言います。右の階段から入り、帰りは左の階段から下ります。祭壇中央が関帝、すなわち関羽です。立派な黒い髭をたくわえています。天井には、赤、金、緑の絢爛豪華な彫刻が無数に施されており(日光東照宮を思い浮かべてしまう!?)、実際、目も眩むばかりです。この赤を基調とした装飾は、風水では魔除けの意味があるといいます。中華街の四方の門から入ってくる気は、すべてこの関帝廟に集中し、良い気はここに留まり、悪い気は取り除かれる、ということだそうです。
参拝の作法
まず、受付で500円を奉納し、線香と金紙を受け取ります。線香に火をつけ、回廊にある香炉の1-5の番号順に、線香を供えていきます(お浄め)。それから本殿に入り、金紙を供えます(お賽銭)。中央の関帝から順に、4体の神様の祭壇の前にひざまずいて合掌し、住所、氏名、生年月日(神様に自己紹介をする)と願い事を唱えて祈ります。参拝したら金紙は金炉(金紙専用)で燃やします。
おみくじの引き方
(かなり時間がかかります!)
何について知りたいのかを決めたら、関帝廟のスタッフに言って、本殿のどの神様の供物台にある「簽桶」(おみくじ棒が入った筒)を引けばよいか教えてもらいます。そして、目的の祭壇の前にひざまずき、住所、氏名、生年月日を言ってから、筒を回しておみくじを引きます。次に赤い三日月型の木(しんばえ)を二個同時に放ちます。「表・裏」の組み合わせになれば、先ほど引いたおみくじの番号の札をいただくことができますが、「表・表」または「裏・裏」の場合は、もう一度初めからやり直します。何度やり直してもいいそうですが、どうしても決まらない場合は、日を改めておみくじを引き直したほうがいいのだそうです。
おみくじの結果が思わしくないときは、悪い気運を払う意味で、外の香炉で燃やします。
関帝廟は強力なパワースポットです。これから新しいことを始めようとする時や、人生を切り拓きたいという時にお参りすると、良い気をいただけるそうです。