日本海は荒波というイメージがあるが、実際は春先から夏にかけてはとても穏やかな日が多い。
冬にあれほど荒れ狂ったような鎌首をもたげる日本海が、春にはまさしく与謝野蕪村の俳句、「春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉」そのままのうららかな風景なのである。
福井の越前海岸にはその沿岸に漁村がいくつも点在している。
どの村も質素な家々が立ち並ぶ。
鎧張りの板壁が烈しい浜風に耐えて家を守っている。
その村の一つに小丹生という小さな漁村がある。
大丹生川が注ぎこむ小さな入り江に臨んで村は在る。村人はその入江に漁船を係留している。
この村に伝わる「神の足跡」伝説もまた興味深いものだ。
昔むかし、小丹生の村一帯に大干ばつが襲った。
幾十日も雨が一滴も降らない。田畑はひび割れ作物も茶枯れ出した。
このままでは村から餓死者が出てしまう。なんとかしなければ。
村に住む一人の老婆が一計を案じた。
この老婆の名は不明だ。ちを江としておこうか。
皆で村の鎮守の春日神社に集まり、雨乞いの祈りをしよう。
朝早く村人総出で境内に座り祈祷を捧げた。
ぴいいいい~と青空にトンビの澄んだ声。
祈りは西の空が茜に染まるまで続けられた。
翌朝ちを江婆が薄明かりの中に響く男の声に目を覚ました。
村の若者が叫んでいるのだ。
「お~い、雨が降ったぞ~。田んぼに水がたまってるぞ~。」
あわててはだしで飛び出したちを江婆は家の裏の坂道を駆け上がって見ると、田んぼがたっぷりと水をたたえているではないか。
村の横の小川も、昨日までは川底がからからに干上がっていたのが、今ではごうごうと水が気持よく流れている!
雨乞いの祈祷が届いたのじゃ。
村人たちは手に手を取って小躍りし喜び合った。
すると今度は別の若者が走ってきて、
「崖の岩壁が大変じゃあ。」
どうした、どうした?とこれまた村人中がその崖まで行ってみると、岩壁に大きな足跡が付いている。
「これは、神様が海の水を田畑に汲み上げた時にこの崖を歩いた時の足跡に違いねえわ。ありがたや、ありがたや~。」
その足跡は、左足は足袋の跡、右足はわらじ跡になっている。
神様も相当にあわてて飛んできたに違いない。
ちを江婆と村人たちはその足跡を大事にして毎年供養したという。
今日でもこの「神の足跡」岩は伝説伝承の跡として大切な村の宝となっている。