京都「鞍馬寺」

若き日の源義経

京都の真夏の暑さは筆舌に尽くしがたい。 ちりちりと足元から焼かれるような熱気が這い上がってくる。

しかし、それも大文字の送り火を見届けると暫時、ふうっと涼風がぬるい吐息のような宵風に混じり出す。

 五条大橋の上で見得を切りたいところだが、ぶつぶつと心の中でつぶやいて橋を過ぎる。

小心者の私である。

京阪電車、叡山鉄道と乗り継いで鞍馬を目指した。

鞍馬、と聞いただけで私は心踊る。 それはもちろん、鞍馬天狗。

当時小学生の私は、下校して帰宅するやいなや、ふろしきを器用に畳み頭巾にしてかぶり、幼馴染と「鞍馬天狗」ごっこに興じた。

幼馴染は数人いて、4~6歳年下。 「自分ばっかり、ずるい~」と半べそでせがまれるので、10回に1回は「鞍馬天狗」役をしぶしぶ譲ってやった。

もう一つ、鞍馬には牛若丸がいる。

薄幸の義士。 義憤に耐え義兄の謀略によって自刃する悲劇のヒーロー、源義経。 歌舞伎「勧進帳」に多分に脚色はされていても、彼の生涯は私たち日本人が大好きな判官贔屓のとても面白い物語だ。

鞍馬寺。

その僧坊にえらい武術にたけた人がおり、牛若丸を鍛えたという。

 もしかしてあの太い杉の木立から、朱塗りの燈篭の影から、少年・牛若丸が飛び出してくるのではないか。

そんな想像を抱きながら、私も心はいつしか50年前に立ち返って心をときめかせながら、長いじゃりの坂道を、そして石段を登った。

平安時代の末期。

平治の乱で殺害された源義朝。

その妻、常盤御前は追っ手から逃れるため、幼い息子兄弟を連れさらに赤子を抱いて吹雪の山道を急いでいた。

 この常盤御前、天皇の雑仕女募集で1000名集められた中にあって、1次選考で100名に絞られ、さらに2次選考で10名に選りすぐられた中、最も美しかった、というから、その美貌ぶりは想像に難くない。

今も昔も権力者は美女が好きだ。

美女はそれだけで幸せの半分を手にしているといわれるが、ここまで美女だと、生まれたその時代、めぐり合わせで、人生、とんでもないところに押し流されていってしまう。

中国では絶世の美女を「傾国」という。

あまりの美しさに恋は盲目となって王が国政を傾けてしまうという意味である。

さて、その常盤御前、平氏に捕らえられ平清盛の前に差し出された。

平清盛は当時、三兄弟とともに全国の荘園管理を取り仕切り、さらに中国の宋との貿易にも手腕を振るうビジネスマンでもあるという相当のやり手であった。

源義朝は同じ政権の下にありながらいわゆる権力闘争での宿敵。

だから平治の乱は、どうも義朝がはめられた感が強い。

清盛、常盤の美貌を見た瞬間、目を見張った。

誰にも気づかれず生唾を飲み込むごくりという音はだれにも気付かれることはなかった。

<この女が欲しい!>

常盤御前はまだ若干23歳。バラの蕾もぷっくらと花びらをほころびかけたような年頃だ。

そこで姦計を仕掛ける。

「そなたの子は死罪じゃ」

そのどすの効いた声に常盤は顔面蒼白。

母親として何とか愛児の命は救わなければと、私の命はかまいませぬ、せめてこの子らだけはお助けくだされ、と涙を流して乞うた。

常盤の子、今若と乙若は即座に寺に預けられ、末子の牛若は7歳を待って寺に出す、その代わりに、常盤は清盛の愛人となったのである。

 やがて、7歳になった牛若は鞍馬寺に修行僧として送られたのである。

 蝉時雨の降りしきる鞍馬寺への参道を登っていると、牛若丸が常盤からもらった形見の横笛の音がどこからともなく聞こえてきそうだ。

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