京都洛北の一乗寺界隈には素晴らしい庭園を持つ名刹がいくつもある。
圓光寺もその一つだ。
徳川家康は豊臣秀吉から天下を奪い取ると教育改革に着手した。
慶長6年(1601年)、家康は下野足利学校第9代学頭閑室元佶(かんしつげんきつ)師を招いて京都・伏見に圓光寺を立て学校とした。
おそらく全国から、
「もう刀の時代ではない。これからは学問の時代だ」
と、学問を志す若者が続々と集まってきたことだろう。
元佶師はそれら志願者が僧侶でなくても入学を許可した。
寛文7年(1667年)、圓光寺は現在の一乗寺に移転される。
江戸300年を通じ、この寺は学問のための木版印刷物を多く刊行し、当時の日本の教育をけん引したのだった。
京都叡山鉄道「一乗寺駅」から詩仙堂方面へゆるやかな坂道を登る。
右手に詩仙堂の山門を見やりながら左に折れると、目指す圓光寺はじきである。
路傍の山門をくぐる。
参道の両側には丁寧に手入れされた背丈ほどの美しい黒松が並ぶ。
庭園に足を踏み入れると、涼しげな水の滴る音がかすかに聞こえてきた。
「水琴窟」という。地中に埋められた陶器の壺の中に水が滴り落ち、なんとも優雅な硬質の音を鳴かせているのである。
鹿脅(ししおどし)とはまた一味違った水との粋(いき)な戯れである。
畳座敷に上がり、庭を眺める。
縁側の毛氈の赤の向こうに新緑の緑が一層眩しい。
木々の幹や枝のうねり、苔むす岩の翳(かげ)り、その根元や岩元を隙無く埋め尽くしている苔の盛り上がりのふくよかさはどうだ。
曲線は一つとして同じものはなく、幽玄かつ自在である。
日本庭園の美の極致がここに在る。
幸いほかの客がいなかったので、畳に仰向けに寝てみた。
目を閉じる。
部屋の空気をかすかに震わせて私の耳に届くのは、庭のどこかにいるはずの野鳥のさえずりのみである。