月桂冠の興りはとても古い。
江戸時代の初期、寛永14年(1637年)、大倉治右衛門が酒屋「笠置屋」として創業した。
やがて明治に入るとその営業規模は全国展開となり灘の白鶴酒造と並んで酒造トップメーカーに発展した。
月桂冠の面白いところはそれほどに古い歴史を持ちながら非常に進取的である点だ。
アメリカ進出についても、Japanese Sakeが大人気のアメリカをいち早く市場として捉えカリフォルニアにGekkeikan Sake USAという会社を立ち上げた。
彼の地アメリカでは今でこそ清酒はSake、あるいはJapanese Sakeと呼ばれるが、つい最近まで長らく日本酒はGekkeikanと呼ばれた。
アメリカの日本酒ファンにDaiginjo,Yamahaiなどの言葉がとてもなじみ深いのは、月桂冠の先駆的な役割が非常に大きいと言えるだろう。
その甲斐あってか、今やアメリカでのシェアは何と25%である。
清酒は秋に収穫された米を冬に仕込む。そのため出来上がりが春以降になるという、時季の偏りがあることが特徴だ。
ビジネスとして肝要な相応の流通量を安定確保するため月桂冠は業界初の「月桂冠総合研究所」を設立し日本酒を徹底研究。
四季醸造蔵を業界ではじめて建設した先駆者である。
ところで、「三倍増醸清酒」というのをご存じだろうか。
戦後の米不足の際に導入された清酒の一種であるこの「三倍増醸清酒」。
米と米麹で作ったもろみに清酒と同濃度に水で薄めた醸造アルコールを加える。
これに糖類(ぶどう糖・水あめ等)や酸味料(乳酸・こはく酸等)、さらにグルタミン酸ソーダなどを添加し味を調整して完成である。
この増醸酒は約3倍に増量しているため、三倍増醸酒・三倍増醸清酒などと呼ばれるのである。
三倍増醸清酒は、アルコールを添加した清酒などとブレンドされて製品化される。
このような紛い物が長く庶民に受けたというのだから分からないものだ。
確かに安価であるが、この三倍増醸酒は後味の悪い粗雑な品質が故に清酒離れを引き起こした張本人であった。
だが昭和56年(1981年)、月桂冠は業界に先駆けてこの三増酒製造を全廃した。
大手清酒メーカーと言えばコスト優先の安価な商品を市場に流すイメージをぬぐえないものだが、現在では「月桂冠」は大手で唯一の完全無糖化の蔵なのである。
そのような清酒メーカー「月桂冠」の博物館が京都伏見にある。
酒蔵を改造した「月桂冠・大倉記念館」。酒造工程や昔の酒造道具などが展示されており、京都府指定有形民俗文化財も多く含まれている。
入場料は大人1名¥300だが、定価¥300-のなかなか美味しい清酒1合ボトルをお土産として付けてくるのがにくい。
実質無料である。
蔵人達が昔酒造工程において歌った作業歌が館内に流れる中を順路を経て見て回る。
一般の酒蔵では、現代の醸造用タンクには制御コンピューターが取り付けられ、酵母の世界に人間が直接タッチする工程は大分減った。
さらに高温の厳しい夏でも低温熟成を可能にした品質管理技術によってもたらされた超低温長期熟成からの素晴らしい清酒が楽しめる時代になったのは喜ばしいことだ。
だが、工程見学はその分味気ない。
一方、この博物館では、黒光りする昔の道具に触れると、麹のむせるような香りと立ち上るアルコールの匂いが鼻をくすぐり、蔵人達の歌声や木の櫂(かい)などの打ち合う音が聞こえてくるようだ。
見学順路の終わりには「月桂冠」の利き酒が待っていた。
最後に純米大吟醸を利き酒させてもらう。
余韻を味わえる純米大吟醸だ。
外に出ると、冬の空気の冷たさが火照る頬に心地よい。