その新島襄の旧邸が京都御苑東、寺町通沿いにひっそりと佇んでいる。
もしかしたら彼の踏みしめる御所の玉砂利の音が聞こえるかもしれぬと、また、いにしえの公家たちが蹴り合う蹴鞠の軽やかな音が響いているかも知れぬと思い、私は弥生の京都を御苑へ向かって歩いた。
富小路通を上がる。
御池通を渡り、京都地裁を過ぎると、丸太町通の向こうの深い緑の木立が御苑だ。
御所は御苑の中にある。だから正確には御苑と呼ぶのが正しい。
新島旧邸。
空には明るい春の光があふれている。
コロニアル様式の和洋折衷。
和魂洋才の彼らしい住まいだ。
邸宅の周囲に低く刈り込まれた椿の生垣。
咲き誇る花弁の深紅が目にまぶしい。
奔放に生きた八重の情熱をいつも後ろで暖かく襄は見守った。
そんな二人が柔らかい弥生の日差しを楽しむように仲睦まじくテラスに出した椅子に座っている、そんな光景を私は想った。
しかしながら、彼らの生命はまだなお会津に生きる人々や同志社で学ぶ人達の心の中に燃え続けているのだと、私は信じたいのである。