箱根 鶴鳴館松坂屋本店

異人たちの足跡 12 コープランドと梅子

箱根旧街道(国道一号線)の最高地点、標高830mの峠にある芦之湯は、広重の浮世絵にも描かれた、江戸時代の箱根七湯の一つである。鶴鳴館松坂屋本店は、芦之湯温泉の源泉を持つ由緒ある宿で、古くから多くの文人墨客でにぎわった。

芦之湯温泉の歴史は鎌倉時代に遡る。当時、すでに箱根湯本から芦之湯を抜けて芦ノ湖に至る官道「湯坂路」が存在し、山岳信仰の行者たちは、そこに湧く湯の原を信仰的な湯治場としていた。しかし芦之湯のあたりは一面の湿地で、普通の人が近づくことはできず、『あしのうみゆ』と呼ばれるほどであった。そこで1662(寛文2)年、伊勢国松坂の住人、勝間田清左衛門が、その湿原を干拓し、以来、現在の湯宿の歴史が始まったと言われる。

鶴鳴館松坂屋本店(かくめいかんまつざかやほんてん)

全18室の松坂屋は、モダンな和のしつらえに、情緒あるくつろぎの宿である。半数の部屋に、内湯または露天風呂があり、そのうちの4部屋には足湯もついている。100年前、大正天皇や皇族方の宿泊所として使われた貴賓室は、三間続きの広々とした座敷から、四季折々、手入れの行き届いた庭を楽しむことができる。大浴場の他、(プライバシーを重んずる?外国人客のための)一人用の貸切風呂もある。お湯はわずかに青味がかった濁り湯で、弱い硫黄臭があった。弱アルカリ性のお湯はなめらかで、とても肌触りがよい。

12月中旬のそぼ降る雨の中、凍えながら宿に着いた私たちは、まずラウンジエリアに案内された。それから温かいお茶をいただき、暖房の効いたラウンジでほっと一息つく。3時のチェックイン時間に宿泊客が集中するため、部屋に案内されるまで、ここで少々待つことになる。順番がくると、館内の説明を受けながら、部屋に通される。

それぞれ異なる趣向の客室は、いずれも落ち着いた印象である。食事は、部屋食ではなく、半個室スタイルの食事処へ行っていただく。時間にラウンジへ行くと、待っていたスタッフがテーブルまでエスコートしてくれる。まず、オープンキッチンに並ぶ今日の魚を見せてもらい、小田原港や真鶴港で水揚げされた鮮魚の中から好みのものを選んで、刺身、たたき、焼物など調理法を指定する。それからテーブルにつくと、すでに地元の新鮮野菜を使った美しいオードブルが並んでおり、乾杯をしながら、温かい料理が一品ずつ運ばれてくるのを楽しみに待つ、といった具合であった。

松坂屋とウィリアム・コープランド

ウィリアム・コープランドはキリンビールの父として広く知られている。コープランドはノルウェー生まれのビール醸造家で、来日前にアメリカで市民権を得たため、一般にノルウェー系アメリカ人と称される。1864(元治元)年、開港間もない横浜に降り立ったコープランドは、山手に良質の湧水を確保すると、1870(明治3)年、スプリングバレー・ブルワリーをオープンさせた。これが、日本で初めてビール工場である。しばらくの間は盛業だったものの、同業者が増えると価格競争により事業は衰退した。1884(明治17)年、ブルワリーは経営難に陥り、グラバーのジャパン・ブルワリー・カンパニーに買取られる。このジャパン・ブルワリー・カンパニーは、その後、キリンビールに発展していくことになるのである。

コープランドの最初の妻、ノルウェー人のアンネ・クリスティネ・オルセンは、結婚して7年目に日本で病没した。1889(明治22)年、コープランドは、日本人の勝俣梅子(ウメとも)と再婚。梅子の両親は箱根芦之湯温泉で伊勢屋という旅館を経営していた。実はこの伊勢屋と、十六代前の松坂屋とは同じ起源をもつ湯宿であった。

梅子の弟

梅子の弟、勝俣銓吉(一般には銓吉郎として知られる)は、早稲田大学の教授を務めた高名な英語学者であった。銓吉は義理の兄・コープランドに対して次のような言葉を残している。

「身長は高く、体躯堂々として事業が好調な時代はなかなか立派であった。性質は大変温和な人好きのする人物であったが、酒を呑むと酒乱の気味があってこれが唯一の欠点であった。恐らく精神的苦労をまぎらすため、自然と呑み過ぎ、それがまた病気の原因となったのだろう。」(『横浜山手外人墓地』より)

コープランドと梅子のその後

ブルワリー経営に失敗したコープランドは、梅子と結婚した後、再起をかけて、横浜港からハワイに旅立った。ハワイでは生活の目処が立たず、その後、南米グァテマラに渡る。グァテマラでは珍しい、日本商品を販売する店を開いたが、すぐに注文の品が手に入らなくなるなど、結局上手くいかなかった。心労から持病の心臓病やリウマチが悪化したたため、1902(明治35)年1月、二人はやむなく日本に帰国する。そしてその翌月、コープランドは静かに息を引き取った。享年68才。コープランド亡き後、梅子は東京で婦人帽子店を営んで生計を立てたが、6年後、39才の若さでこの世を去った。二人の間に子供はなかった。

上質の湯につかり、贅沢な時間と空間を味わえる宿・松坂屋は、都内からのアクセスもよい。芦之湯温泉、松坂屋本店と、ビール醸造家コープランド、そして日本が誇るキリンビールには、密かなつながりがあった。これは知る人ぞ知る、トリビアである。

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