鎌倉 光明寺

「今」が生きている開かれた寺

光明寺には、「今」が生きているように思う。なぜなら、ここでは観光で訪れる人よりも、地域の人をたくさん見かけるからだ。私は光明寺を何度も訪れているが、広い境内には、ベビーカーを押す母親たちが楽しそうにおしゃべりしていたり、子供たちが自由に走り回っていたり、春には車いすの老人たちが静かに桜を眺めていたり、冬の日、開け放たれた本堂の内陣で信者さんらしき女性が一心に祈っている姿があったりする。鎌倉駅から光明寺までは、歩けば30分と、少し距離がある。けれど、由比ケ浜から海岸線を歩いて材木座海岸まで、のんびりと散歩をしながら光明寺を訪れるのは、とても楽しい。

光明寺の歴史

光明寺は1243(寛元元)年、鎌倉幕府の政権が安定し始めた頃に、浄土宗の高僧・記主良忠(1199-1287)によって創建された。良忠は学問に秀いで、生涯に100冊もの著作を著した。また教化の人としても知られ、関東から九州まで刻苦の旅を続け、各地で人々に教えを説いた。そんな良忠の名声により、光明寺にはあまたの学僧が集まり、日々念仏修行に励んだという。それから400年後の江戸時代には、徳川家康が関東十八檀林の筆頭に光明寺を置いた。そのため光明寺は、長く念仏と学問の研鑽道場として栄えた。

伽藍配置

光明寺は、総門から山門、大殿(本堂)までが一列に並ぶ伽藍配置である。春には参道の桜並木が美しい枝を広げる。私は、大殿の青銅色の屋根と、薄桃色の桜の花びらの優しいコントラストが大好きだ。靴を脱いで大殿に上がれば、熱心に祈る人々の姿がある。こうした光景を見ると、光明寺には「今」が生きていることを強く感じるのだ。

大殿は十四間四面で、内陣は広く、何かとても清々しい気配が漂っている。私はいつも、畳に座りご本尊にお参りした後、しばらくの間、天蓋や、天井の下の彫刻に見たりして心を落ち着ける。それから立ち上がって右手の廊下に出て、枯山水の庭を見る。波紋を描いた砂の上に八つの石が置かれた「三尊五祖来迎の庭」である。石はそれぞれ、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩、の三尊と釈尊、善導、法然、鎮西、記主の五租を表すのだそうだ。左手の廊下は開山堂や書院、庫裏などとつながっているが、一般の参拝者が拝観できるのは開山堂手前の記主庭園までである。7月の記主庭園には、蓮池に古代蓮が咲き、ひときわ華やかである。

材木座海岸

光明寺は海岸線のすぐ近くにある。これだけの規模の寺院が海のそばにあるのは珍しい。総門から出て潮風に誘われるまま歩けば、そこは湘南の海の中でも人気の高い材木座海岸である。安定したコンディションに、一年を通じてサーファーが集まる。また夕日の美しさも格別だ。特に、秋から初冬にかけては、海の向こうの茜色の空に、富士山と江ノ島がシルエットとなって、美しく浮かび上がる。

いつもさわやかな海風が吹き渡る光明寺の境内。光明寺は、日々の暮らしの中にあって、人も潮風も、静かに通り抜ける。穏やかな時間を過ごしたくなったら、横須賀線に乗って鎌倉で降り、光明寺の門をくぐってみてはいかがだろうか。

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