京都・地主(じしゅ)神社に初詣

縁結びの桜

初詣は奇しくも京都になった。

しかも清水(きよみず)。

お寺なのだが、ま、ありがたいことだ。

今年は問題・難問が大小不明のままごろごろと転がって来そうなので、それこそ「清水の舞台」から飛び降りる気持ちで、大胆に挑戦したいと。

そのあと、清水のすぐ裏にある「地主(じしゅ)神社」へ回る。

この地主神社、意外に知られていない、京都の穴場である。

起こりは神代の昔とかのいわれがある。

が、その古さの証としては、参道中央に置かれている「恋占いの石」が縄文時代からのものであると測定されているそうだ。

縁結びの神様としてこの神社が名を知られるようになったのは、平安時代初めにまでさかのぼる。

時の嵯峨天皇は実兄が謀反を企てたいわゆる「薬子の変」で大層心を痛めた。

幸いなことに未遂に終わったが情に厚い天皇に、肉親の裏切りはさすがに応えたに違いない。

その謀反を未然に防いだ坂上田村麻呂なかりせば、嵯峨天皇の栄華の時代はなかっただろう。

そのことを重々知る嵯峨天皇は、感謝の行幸を地主神社に行ったのであった。

弥生も終わり。

大勢を引き連れての行幸の一行は地主神社の境内へしずしずと入っていく。

天皇を乗せた御車が鳥居をくぐったとき、車内から天皇の透き通った声が響いた。

「待て。」

静かに御車が止まる。

車輪が砂を噛む音が静寂の境内の空気をかすかに揺らす。

「おお、なんと見事な桜じゃ。」

天皇は吐息交じりにつぶやいた。

その桜、鶴が両翼を地面に伏せようとするかのように、枝が広がり、薄桃色の花を枝という枝すべてに吹き出している。

しばし見とれた嵯峨天皇、少し進んだが、御者に元の位置に戻るように命じた。

またしばしの時間が止まる。

嵯峨天皇はそれをさらに一度繰り返したという。

故にその桜の名木は「御車返しの桜」あるいは「地主桜」と呼ばれたのである。

実は嵯峨天皇が坂上田村麻呂と出会う縁を持ったのはこの地主神社でであった。

だからこそ、天皇は田村麻呂との出会い、自身の運命の流れというものをその桜に重ね見たのかも知れない。

そんな人との出会いの縁を結ぶこの神社は、今では女の子たちがきゃあきゃあと、恋結びの願いを託してにぎわっている。

七福神もいらっしゃる。

ところで、ここではお願いをしてはいけないそうである。

「お礼」を言うのだそうだ。

私もさっそく。

参詣の順番待ちで並んで参道の石畳の上に立っていると、神様の声がどこからともなく聞こえてきた。

「近頃の人間どもは、何とかになりますように、とか、あれこれできますように、とか、カネ儲かりますようにとか、願い事ばかりしよる。 

わしのところに請求書ばかり持ってきよる。

じゃ、わしがそれを叶えてやったところで、すぐにお礼に参りに来るか?

だあれも来やせん。

人間よ。

お前らは一体、どないなっとるんや。」

 並んだ私の番になった。

賽銭を入れ、鈴を鳴らし神様をお呼びする。

二礼二拍すると、小声でつぶやいた。

「神様。

去年は、父を間際で御救い下さり、ありがとうございました。 

すばらしいたくさんの人たちに巡り逢わせてくださり、本当にありがとうございました。 

私自身も無病息災で一年を楽しく過ごすことができました。

愛と健康に包まれて愉快に過ごすことができました。

ありがとうございました。」

言い終わると一礼。 

帰り始めると、神様の声が背中で聞こえた。

「ありゃあ~~!あいつ、請求書出さんかったぞ。

領収書だけ置いて行ったわ。

珍しいやっちゃなあ。

え~~?

今日参ってきた人間3万人の中であいつだけや、請求書出さんかったの。 

何か言うとったことの二つ三つ叶えてやろか~。

今年も喜ばしとったろかいなあ。」

ありがとうございます、神様。

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