京都・嵯峨野「清凉寺」

巡礼僧の夢

京都嵯峨野の大覚寺の南に「清凉寺」はある。創建は天慶8(945)年、嵯峨天皇の子息、源融(みなもとのとおる)と子息による。

元々嵯峨天皇の別荘「栖霞観(せいかかん)があったために栖霞寺と名付けられた。

草創数十年が経った頃である。

奝然(ちょうねん)という奈良・東大寺の僧がいた。

彼は当時の中国・宋に仏教を極めるために留学した折、山西省に佇む五台山、別名清凉山を巡礼した。

そのふもとの台州の開元寺を詣でた奝然は二人の仏師と出会う。

「釈迦如来像を霊刻していただけないか。」

深々と伏して願う日本からの修行僧の熱意に感服した仏師は、インドの優填王(うでんおう)が造立したという釈迦如来立像を模刻した。

像が最後の仕上げとなり顔に仏牙を入れたとき、真っ赤な血の玉が頬に膨らんだ。

仏師は驚いて小刀を置くと一刻合掌したという。

奝然は胎内にその由来記などを納めて寛和2(986)年)に帰国した。

帰国後彼は京都嵯峨野の愛宕山を見るやそれを巡礼先のかの山五台山清凉山に重ね見、ぜひともと清凉寺建立を夢見た。

当時京の東北にあって絶大な勢力と権力を誇る比叡山延暦寺に対抗するかの如くに、都の西北の霊山愛宕山を旧仏教系の中心地としたいという意図があったとも言われるが定かではない。

しかし当然の如くこれは大それた企てとして、延暦寺の反対に会い退けられた。

失意のまま逝去した奝然のその遺志を継いだのは弟子の盛算(じょうさん)であった。

盛算は栖霞寺の境内に奝然の夢「五台山清凉寺」を建立、釈迦如来を本尊として祀ったのである。

千年の時を超えて佇むこの釈迦如来像は多くの参拝者に慕われている。

仁王門をくぐると、広い境内には本堂はじめ、阿弥陀堂、一切経蔵、薬師寺、宝物館、弁天堂、狂言堂、聖徳太子殿、法然上人求道青年像、鐘楼、豊臣秀頼公首塚、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいる。ゆっくりと巡りながら奝然の夢を重ね見たいものだ。

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