風の呼び名は日本全国で二千を越すそうである。
春一番はよく知られた風だ。
油風(あぶらかぜ)は四月頃吹く南寄りの穏やかな風。
山背は夏に東北地方に吹く冷たい北風。
野分(のわき)は秋の暴風。
乾風(あなじ)という船の航行を妨げる冬の北西季節風は近畿以西で吹く。
温帯湿潤気候地帯にある我が国は、千の名の風が草木を揺らしつつ四季の背を押してゆく。
福井県三国の東尋坊からすぐそばに、「風の扉」という美しいカフェがある。
扉を「ドア」と読ませるこのカフェは、佇まいそのものがまさしく林を渡る風のように爽やかだ。
その裏手の雑木林の緑に抱かれ、傍に根を張り枝を延ばすアカメガシワやエノキ、あるいはヤマザクラと寄り添うかのように一体と成して密やかにこのカフェは在る。
実は今回の再訪までにはだいぶ時の隔たりがあってしまった。
それでも緩やかな段を踏みしめ上がって行くや扉が開き、懐かしい笑顔が私を出迎えてくれて、つい先週にも交わした挨拶であるかのように、十年という長い時間を暖かく優しい声は埋めてくださったのである。
そうだった。
オーストラリア・メルボルンの郊外にあるヤラ渓谷のチーズが私と「風の扉」を取り持ってくれたのだった。
過ぎ去った思い出が懐かしくこみ上げてくる。
このカフェのファンは多い。
その理由はよく分かる。
不思議なほどに居心地が良いのだ。
カフェ客室は東南西の三方がガラス戸越しに見渡せて、とても明るい。
高い天井にあるサーキュレーター。
赤々と燃えている薪ストーブ。
壁を飾る絵。ピアノの上のオブジェ。
天井の梁から下がるモビール。
それらの一つひとつがアートの雰囲気を漂わせている。
カウンターの常連のお客さんの談笑の声が微かに軽やかに聞こえてくる。
私はやはりブレンドコーヒーをストーブのそばでゆっくりとすする。
外は春の雨にぬれそぼって肌寒いはずなのに、一枚のガラス戸を挟んですぐ向こう側の風景のはずが、もはやどこか遠い国のことであるかのように私には感じられる。
意識が浮遊できるということは自身が解放されている証なのだろう。
私達が自宅で飲むコーヒーでなく、外に出かけカフェのドアを開けるのはなぜだろう。
それは日常に埋没してしまう自分をすくい上げたいからなのではないか。
一杯のコーヒーにその願いを託したいのではないか。
分かっている答を、しかも自分で解き明かせることも承知なのだが、その他愛ない一人芝居に独りごちたいのではないか。
こんな風に思いを巡らしている自分に苦笑する時間を放り投げてくれるカフェは、実はそう多くない。
歩き疲れた時に「風の扉」は丁度良い。
コーヒー一杯が私に付き合ってくれる30分という時間で私にはまた歩き出そうという気がみなぎってくるのだ。
あなたの心の扉を開けてどんな風が吹き抜けてくれるか、それはこのカフェに来てみてのお楽しみである。