奇勝、東尋坊は永平寺と並んで福井県随一のランドマークである。
其処の土産物店通りの一番断崖側に「喫茶ダウンビート」はある。
店に一歩入るとジャズが耳に飛び込んでくる。
カウンターの端にはギターが立てかけてある。
店のコーナーにはオブジェのトランペットとスネアドラムが置かれている。
そういえば御茶ノ水の学生街にかつてこんな雰囲気のジャズ喫茶があった。
授業の合間によく通ったものだ。まだ飲みなれないコーヒーの苦さと複雑なコードの連鎖のジャズをうんと背伸びして受け入れようとしていた自分が薄暗いその店のソファにうずくまっていた。
20歳の頃の青年の前ではジャズ喫茶は多分に大人への憧憬のシンボルとして光っていたのだと思う。そんな思い出が突然蘇り、そしてふうっと消えて、ダウンビートに戻ってきた。
使い込まれていい具合に角のとれている椅子やテーブルが音楽のたゆたう空気の中に佇んでいる。
「喫茶ダウンビート」は、昭和49(1974)年石森さんご夫妻が開業した。
お二人とも家の商売が東尋坊の店だから生粋の地元っ子である。
しかも同級生同士。気心の知れた幼なじみである。
音楽を愛するご主人はドラマーを目指して上京し「有馬とおるとノーチェクバーナ」というラテン系バンドのボーイをしながら腕を磨いた。
だが実家の稼業を継ぐ段となり帰郷すると結婚を機に夫婦でジャズ喫茶を始めたのである。
奥さんはもっぱら聞くだけのファン。店名の「ダウンビート」は、当時アメリカで発刊されていたジャズ雑誌 “Down Beat”から戴いた。
以来40年、店のBGMはひたすらジャズである。
中でも、オスカー・ピーターソンやハンク・ジョーンズが気に入りだそうだ。
開店1年後に久雄さんが誕生。
ご夫婦の一粒種として音楽のあふれる家庭で彼は育っていった。幼児の頃から耳に馴染みのあるジャズは久雄さんにとって着慣れたジャケットのようなものだ。小学生の同級生たちが「チェッカーズ良いよね~」とはしゃぐ脇で、ジャズに親しんでいる久雄さんは苦笑せざるを得なかった。
ある日、優しいご両親の愛に包まれた生活が一変した。お父様が心不全で急死したのだ。35歳の死はあまりに若すぎる。久雄さんは当時小学校3年生。気丈夫なお母さんに励まされ、父親の形見となった「喫茶ダウンビート」で母と過ごしながら久雄少年は成長していった。
開店12年目の昭和61(1986)年、皇族の東尋坊訪問を機に商店街と遊歩道の整備事業によって「ダウンビート」は新しく建て替えられた。
現在の店舗はそれ以来のものである。
東尋坊は福井随一の観光スポットだから此処を訪れる人達は奇勝の断崖を見、遊覧船に乗るなど、慌ただしい旅程の中にあって割合短い時間しか過ごさない。
「だからこそ、お客様にはダウンビートで少しの間でもほっとゆっくり過ごしてもらえたら、という気持ちをこめておもてなししています。」
と語るお母さんと久雄さんの笑顔が優しい。
さて、特典がある。
久雄さんは現在福井県内を主な活動の拠点にしているプロのギタリストなのだが、
「この<Japan Travel>の記事を読みました。」
と久雄さんに告げると、お席のそばであなたの好きな曲を1曲生演奏してくれるのだ。
ジャズでもポップスでも何でもOK。
そんな素敵なひと時をあなたの旅の思い出に抱いてもらえたら、「ダウンビート」はおもいっきりスウィングしてしまうかも!