現在では嵯峨野は京都屈指の観光スポットで、渡月橋辺りは週末ともなると大変な賑いである。しかし昔は洛中から遠く離れた感があり、小倉山辺りはその静寂さが念仏想念の場にふさわしいと多くの念仏寺があったという。祇王寺辺りもまさにそのような静謐さに心が洗われる心地だ。
平清盛という男は女心の機微にはまったく疎(うと)い。子猫と一緒で一つの鞠(まり)にじゃれるそばから別の鞠を転がすとすぐさま新しい鞠に夢中になってしまう。その年も暮れ、明けて春になった頃、祇王の元に清盛から文が届いた。
「おい、その後どうしておる。仏御前が退屈そうだから、こっちに来て歌や舞などして仏御前を慰めよ。」
祇王は開いた口が塞がらなかった。空気が読めない男の極みだ。よくもまあ、これで天下が取れようというものだ。と、そこまで祇王が思ったかどうか。いずれにせよ、祇王は返答できるはずもなくうっちゃっておいた。すると再び清盛から、
「なぜに返事をよこさぬ。来ないつもりか。来ないならその訳を言え。わしにも考えがあるぞ。」
と、今度は脅迫である。これには母とじもすっかり怯え、祇王を説得した。祇王は気が進まなかったが母の願いとあって泣く泣く屋敷に出かけて行った。
「おい、祇王、ずいぶんと長い間、どうしておった。その後、何があったのじゃ。ま、それはいいから、歌でも歌え。仏御前が退屈しておるでの。」
覚悟を決めて来た祇王ではあったが、清盛と仏御前らの前に立つと流れる涙を抑えることもせずに今様を一つ歌った。
「仏も昔は凡夫なり
我らも終には仏なり
いづれも仏性具せる身を
へだつるのみこそ悲しけれ」
(仏も昔は凡人だった。我らも最期には仏になる。いずれも仏性を備えている身でありながら隔てられていることは悲しい。)
その場に居合わせた者は一人残らず感涙に咽び、祇王に深い哀れみの情を寄せたのだった。清盛も感動したのか、
「おお、今の歌は殊勝であったぞ。舞も見たいところじゃが、用が入った。舞はまた今度見せよ。ゆっくりしていけ。」とすたすたと歩き去った。清盛、どこまでもマイペースである。
迎え入れてくれた母と妹に祇王はとつとつと告げた。
「お母様の願いとあって我が心を曲げて出向きましたが、重ね重ねの親方様のひどい仕打ち。もはや生きていてもまたひどい目を見るだけ。いっそ、身を投げようと思うのです。」
「お姉さまが身を投げるなら、私も共に身を投げます。」と妹の祇女は祇王の手を握りしめた。
(最終、第四部に続く)