鎌倉 春の報国寺

竹の庭と、そこに息づく禅文化

報国寺といえば、美しい竹の庭でその名を知られる鎌倉の禅寺である。しかし、報国寺の魅力はそれだけではない。山門を抜けると、色鮮やかな苔庭や、手入れの行き届いた樹木、迦葉堂前の枯山水の庭など、引き締まった香気が満ちている。山門をくぐり、草木の放つ清冽な空気に包まれて石畳に足を進めていくと、苔むした石段の中ほどに、黒い縄のかかった石が置いてある。結界を示すこの小さな石には、報国寺が育んできた洗練された禅文化を感じることができる。

報国寺の由緒と天岸慧広

報国寺の創建は1334(建武元)年、鎌倉幕府滅亡の翌年である。開山は上杉重兼(足利尊氏の外祖父)とも、足利家時(尊氏の祖父)とも伝えられている。開基は当時のエリート僧侶とも言うべき天岸慧広(てんがんえこう)であり、鎌倉瑞泉寺や京都南禅寺に住持した夢窓疎石(むそうそせき)とは兄弟弟子にあたる。天岸慧広は13歳で建長寺の無学祖元(むがくそげん)に参じ、その後、東大寺戒壇院で受戒して、下野国(栃木)雲厳寺で無学祖元の弟子、高峰顕日(こうほうえにち)に参じた。再び円覚寺に戻り首座(修行僧の筆頭)となった後は、1320(元応2)年に元に渡って各地で掛錫した。1330(元徳2)年、57歳で帰国。上杉重兼の招聘により報国寺第一世となった。

現在、竹の庭の奥に茶席『休耕庵』が設けられているが、これは天岸慧広の塔頭跡に建てられたということである。

結界石

報国寺の庭にある丸い小石は、関守石、留め石などとも呼称される、いわゆる結界石である。黒い棕櫚縄を十文字に掛けた石が、石段のちょうど中程に置かれており、茶室に入る露地などにあるものと似ている。

結界とは、聖なる領域の清浄と秩序を保つために、領域を区切ることである。仏教寺院だけでなく、神社や神道に基づいた儀式、行事などでも用いられるため、普段から我々は、無意識に結界を目にしているようだ。お寺の本堂の祭壇には、しばしば低い木製の仕切りが置かれているし、寺院の山門前にも、竹や木でできた仕切りがあることが多い。神社の注連縄も、同様に結界を表すという。また、高野山や日光男体山などでは、女人禁制の石塔が立っている。日常的な例では、相撲の土俵や、店先の暖簾にも、結界の意味合いがあるという。

報国寺の庭にさりげなく置かれた結界石は、観光地化された鎌倉の中でもとくに人気のあるこのお寺が、寺域の中の聖域を堅持していることを、奥ゆかしく、そして芸術的に表現しているように感じた。

報国寺で禅文化に触れる

竹の庭に設けられた茶席で、お抹茶とお菓子をいただくのは、清々しく、心が静まる体験である。この竹の庭は江戸時代頃からあったようで、先代の報国寺住職が一般の参詣者にも見てもらおうと、丹念に整備したのだという。静寂の中で至福のひとときを過ごすには、平日の午前中に行くのをお勧めする。

日曜座禅会は、予約なしで初心者でも参加できる座禅体験である。午前7時半から10時半までで、座る座禅を15分2回、歩く座禅をはさみ、25分間の座禅をもう一度、それから般若心経をあげて、粥座を受けて終わる。

報国寺に詣でたら、竹の庭に入る前に、洗練された禅の庭にも足を止めてみたい。鎌倉幕府終焉後に成立したこのお寺には、幕府の庇護をうけて発展した鎌倉五山の諸寺とは別の、日本の禅文化が息づいていることに気づくだろう。

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