今年3月下旬、雪国福井にも漸く春の足音が聞こえ始めた頃、梅を観るため越前市の味真野苑を訪れた。しかし、肝心の梅が咲いていない。辺りは見渡す限りの田園で、これと言って何も見る物はない。とはいえ福井市から越前市まで車で約1時間もかかるのである。このまま何も見ずに帰るのは何とも悔しい。
何か見る物はないかと田んぼの中をぐるぐる廻るうち、古めかしい寺院に遭遇した。門前の石碑には城福寺と書いてある。その横に「国指定名勝 城福寺庭園」の文字。そういえば越前市には名庭がある、と聞いたことがあった。おそらくここの事だろう。週末だというのに国の名勝にしては誰もいなかったが、福井ではよくある事だ。そのまま入ってみる事にした。
参道を抜け、門前まで来てまず目に付いたのが「平家一門菩提寺」という石碑だ。どうしてこんな所に平家一門の菩提寺が? と訝しく思った。その疑問は後に寺男の説明を聞いて解けた ( 境内には自由に入れたが、本堂奥にあるであろう名庭園がどうしても見たくて、ドアを叩いて見せてくれと懇願したのだ )。
源頼朝を救った平清盛の継母、池禅尼 平家とは、平安時代 ( 794 ~ 1192 ) に一世を風靡し日本を牛耳った平清盛率いる武家一族である。日本には平家、源氏の二大武家勢力があり、当時この2つの強大な武家たちが権力を得ようと凌ぎを削った。 1160年に二者間に起こった平治の乱で、まず平家が源氏に勝利する。源氏の頭領源義朝は殺害され、その子頼朝 ( 後の鎌倉幕府創設者 ) も処刑される運命にあった。頼朝当時13歳。それを救ったのが平清盛の継母、池禅尼 ( いけのぜんに ) だ。 池禅尼、断食までして幼い頼朝の助命嘆願をする。平清盛は彼女の命乞いを受け入れ、頼朝の刑を減じ、幼き頼朝を伊豆の蛭ヶ小島 ( ひるがこじま ) へと流す。