福井 古民家ホテルレストラン「ドルチェヴィータ」

手作りママンのイタリアン家庭料理とフランス語での素晴らしいおもてなし

 国道305号線を越前海岸沿いに走り大味(おおみ)の三叉路を山側に折れると、県道6号線はいきなり急峻な尾根を伝うようにうねりながらゆらゆらと登ってゆく。谷底を流れる大味川が道路の右下を流れている。つづら折りの山側に、またしばらく進むと谷側にと、きれいに枝打ちされた杉の木立がすっくと伸びている。殿下(でんが)がかつて林業で栄えた地区だったことを思い出した。5キロほど登ると家並みが現れる。風尾集落である。まもなく右に折れ細い道に誘われて武周という小さな村に入る。目指す宿はこの村の中央にある「ドルチェヴィータ」だ。

「ボンジュール!」と、出迎えてくれたのはサバティーノさん(69)と圭子さんご夫妻。サバティーノさん(ニックネームはサバさん)の生まれ故郷は、イタリア中部ウンブリア州である。アッシジが遠くに見えるベバーニャという小さな村で生まれた。この村は、ユニークなお祭りで知られている。村人たちが中世の時代の衣装を着て扮装するのだ。レストランも中世の頃の食べ物を出す。1週間くらい続くお祭りで6月に開催される。サバさんは5歳のときに一家そろってフランスに移住した。以来、教育はフランスで受けたから、読み書きはもちろんのこと、思考も全部フランス語。お父さんはすでに他界した。

けいこさんは東京出身だ。22歳のときに初めてグルノーブルに渡仏した。グルノーブル大学に進学するためにフランスに渡ったのだが下宿が見つからず途方に暮れて知り合いのつてを頼り見つけたのが小さな村のペンションだった。朝はそのペンションで働き、午後はその村の分教所でフランス語を勉強した。それにしてもいきなり現地の、それもパリから離れた地方の村に単身飛び込む圭子さんの勇気には唸ってしまう。素晴らしく旺盛なチャレンジ精神の持ち主である。

 実は圭子さんは幼児期にピアノを習っていた。その先生のお父さんは外交官で、先生は外国で過ごした経歴を持っていた。ピアノとフランス語を教えていた先生にけいこさんはピアノを習いに通ったのである。美しい先生で、家の中を靴を履いて歩いている。アランドロンの大ファンの先生。折に触れて先生が話すフランスの様子や先生のフランス語の影響は少女のけいこさんには十分な刺激である。そのカルチャーショックがけいこさんの人生をフランスに後々向かわせる下地となっていた。中高生の頃の地理の授業のとき、自分は授業と関係のないフランスの地図を広げて「行きたいなあ」と渡仏への夢を馳せていたのよ、とけいこさん。帰国し結婚して家庭を持ったが、40歳の時、フレネ教育法というものを子供たちに受けさせたいと家族で再び渡仏した。移住先は南フランスのヴァンスである。4年生の息子と4歳半の娘を連れての母子家庭の挑戦だった。子供たちを学校に通わせながらけいこさんはツアーガイドとして働いた。7人くらいのヴァンでガイドするライセンスを取った。カンヌ、モナコが近く、ツーリストだけでなく国際学会も頻繁に開かれる都市だ。プロヴァンスからフィレンツェまで南仏、地中海沿岸を広くカバーするガイドをしていた。

サバさんとは一緒の仕事仲間として出会った。当時、サバさんはバスドライバーをしていたのである。自分も年齢を重ねると同時に日本の両親も次第に気がかりになってきた、とけいこさん。フランスから遠く離れた仙台に暮らす両親の介護を頼める人はだれもいない。どうしたもんだろうかなあ、と思っていたところに、福井県で古民家改修ホテルを経営してみませんか、という話が舞い込んで来た。最初は、福井県なんて、まして武周町なんてどこにあるのかも分からない。全くのゼロの知識からの、しかもリタイア生活を楽しんでいても良さそうな年齢での、新しい生活へのチャレンジである。

「思い返せば、それこそジグソーパズルのピースがあれやこれやしてぴったり収まったように、話がまとまっていったんです。」とサバさん、けいこさん。 築200年の古民家改修は福井県と福井市の行政がかかわる観光プロジェクトだった。開業までに紆余曲折があり、一度はあきらめかけて、「フランスに帰ろうよ」とサバさんに提案したけいこさんだったが、「ここが気に入った。ここにいたい」とサバさん。周囲の人たちに助けられて無事2019年秋に開業に漕ぎ着けた。

玄関から中に入ると、ホールの隅に囲炉裏がしつらえてある。右の壁際にはサバさん手製のカウンターバー。サバさんは大工ができるのだ。スツールやチェアの出来栄えから推測するに、その腕前はプロ並みである。

この古民家は西欧のテイストを織り交ぜてリフォームされているが、できるだけその手入れを抑えてあるため、日本の伝統家屋の本来の美しさが少しも損なわれていない。堂々たる太さの梁が赤黒く光沢を放っている。板の引き戸もオリジナルのままだ。

引き戸を開けるとダイニング。シンプルモダンな和風の雰囲気が心地よい。

宿名の「ドルチェビータ」とはイタリア語で「甘い生活」あるいは、「甘美なる人生」の意味だ。人生の第三コーナーから第四コーナーを疾駆するご夫妻にぴったりの名前だ。疾駆、というよりむしろゆったりと風景を楽しみながらの乗馬散歩だろうか。理想としたい生活である。

ドルチェヴィータではサバさんが料理担当である。サバさんは日本に来て、初めて料理を始めた。サバさんのキャリアでシェフの経験は無いという。つくづく、料理というのはその作り手のセンスなんだと痛感する。何についてもそうだが。しかし、けいこさん曰く、サバさんのお母さんが素晴らしい料理人だから。サバさんの兄弟姉妹は、妹が4人と弟が1人の大家族だった。お母さんがすべて独りで料理をした。例えば、カペレッティ、というラビオリの小さいのがある。それを家族みんなでお正月に食べる。お母さんが料理するその傍らで幼少のサバさんはいつも母の作業を見守っていた。その経験が今ここにきて一挙に開花したのだ。

 ドルチェヴィータのランチは全然高級フレンチではない。イタリアン、南欧。地中海。それらすべてが融合されたイタリアの家庭料理。サバさんのママンが作っていた家庭の味だ。お母さんから受け継いだ暖かい料理を茶目っ気たっぷりの笑顔でサバさんは供してくれる。 周囲の農家の人たちが届けてくれるいろんな美味しい野菜を使ってサバさんは腕を振るう。中でもフォカッチャやソーセージは絶品だ。わずかな間にサバさんの料理の美味しさは村の人たちの胃袋をがっちり掴んでしまった。フランス語など全然分からないおじさんたちと日本語が分からないサバさんが交わす珍妙にして愉快な意思の疎通と酒杯と笑顔は、すでにこの武周町の財産になった。その笑顔は、これからたくさんの訪問客へと広がっていくこと請け合いである。甘美なる人生!

行き方

国道305号線を大味(おおみ)交差点で山側に折れる。県道6号線を5キロほど登り、右折、武周町に入る。

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