子供の頃、近所や親せきに婚礼があると必ず三国饅頭がふるまわれた。
婚礼のある家の軒先には饅頭を数百個も詰めてきた「ニナイ」と呼ばれる朱塗りの箱が積み置かれている。
紋付袴を着た人が二階の窓から、あるいは屋根瓦に乗って、庭に集まった人に向けて饅頭を撒く。おかみさんたちは割烹着のすそを持ち広げ、子供たちは野球帽で、その饅頭を受け止める。
ニナイは一つや二つではなかったから、相当の数の饅頭を撒いたのだろう。
ずいぶんと豪勢な結婚式が行われたものである。
さて、その三国饅頭というのは酒饅頭である。
もち米と糀(こうじ)を使って甘酒を作る。
それを熟成させ。酒の香りの強く出たところに小麦粉を加えて種を作る。その種をさらに発酵熟成させてから練り餡を包んで蒸す。
この製法は作業工程が複雑なために昨今の大半の和菓子店では酒粕を用いた酒饅頭が主流だ。
だが、饅頭皮の風味も味わいもまったく別物で、やはり糀からの甘酒が醸し出す酒饅頭とは比べ物にならない。
それほどに本格製法の三国「酒饅頭」の美味しさは格別で、福井で酒饅頭といえば「三国饅頭」を指すほどその名は知れ渡っている。
三国饅頭の起源は、諸説あるようだが「北前船」に由来するようである。
遠く江戸時代、大阪と北海道を結んで瀬戸内海、日本海の港を経由して運行した北前船の寄港地であった福井・三国。
日本各地の豊富な物資が三国に上がり、多くの豪商が繁栄し三国は大いに栄えた。
あるとき、海が時化(しけ)で舟が港に停泊せざるを得なかった折にその船頭が酒饅頭の製法を三国にもたらした。
酒饅頭の甘酸っぱい芳香と皮のもちもちっとした食感が大評判となった。
豪商たちはその慶事に五千とも一万ともいう酒饅頭を撒いて祝ったという。
全盛期には三国に25軒の酒饅頭製菓店があったそうだ。
現在は6店舗の酒饅頭屋がそれぞれ味わいの違う酒饅頭を製造販売している。
道路向かいには「元祖・小山屋」がある。小山屋の酒まんじゅうも美味しい。
だが福井の地元では「西坂の酒まんじゅう」ファンが多い。
餡は濃く、皮のもっちりとした噛みごたえのある食感が個性的だからだろうか。その個性は説得力のある美味しさなのであろう。
すっかり左党になってしまった私だが「酒まんじゅう」だけは今でも好んで食べる。
西坂か小山屋かは、お好みである。食べ比べも楽しい。
店先でまだほのかに温かみの残る酒饅頭を頬張れば、遠い昔、三国湊の荷役夫たちの威勢のいい掛け声が聞こえてくるようである。