三国湊が北前船貿易で隆盛を極めていた江戸時代。
九頭竜川の河口は天然の良港となってその東岸は廻船問屋がずらりと軒を並べていた。
大商人たちが扱う荷物の蔵と屋敷がこの下町に集まる一方、北前船貿易を支える大工や日常生活の小商い店はその一歩奥まった通り沿いに連なる。
そのような家屋の建ち方故に、江戸時代ではたびたび火災に襲われた。
とりわけ、文政の大火(1823年)では四百軒が焼け落ちた。
下町のほぼ全域と見られる。
この大火を契機に町は再建され整備された。
道路も拡幅を図りながら、廻船貿易が終焉を迎える昭和の初めまで三国は港町ならではの進取的な晴れやかさをもって大いににぎわったのである。
その廻船問屋の一つ旧「岸名家」を右手に見ながらぶらぶら歩いて行くと、明るい広場に出る。
三国祭の山車を格納する蔵とその横には豪商「森田家」が興した旧「森田銀行」の美しい建物が左手に見える。
どちらも三国が隆盛を誇った時代の名残を今に伝えている。
廻船貿易があったればこそ三国祭は今日まで伝承されてきた。
森田銀行はおよそ40年ほどの役目を終えて現在の福井銀行に合併され、その後このビルは銀行としての機能は停止される。
三国の町家を眺めつつ廻船問屋の往時のにぎわいを想像しながらのぶらぶら歩きは、一旦中断してコーヒータイムである。
木造建物はこの通りの町家の雰囲気になじむなかなかすがすがしいデザインだ。
一階にはジェラート(イタリアのアイスクリーム)屋「カルナ」が、二階には目指す子カフェ「たぶの木」がある。
たぶの木という樹木は照葉樹林の一種で楠の仲間だ。
かつてはこの木の樹皮は漁網の染色に、固い木質から造船用の構造材あるいは鉄道の枕木などに多用され、そのために日本中に植えられていた。
時代とともにその役目は終わり、今日では木肌があまりにも武骨というのだろうか、庭木としても人気がないそうだ。
だから造園業者も苗木を取り扱わなくなって久しいという。
日曜の午後3時過ぎ、私がドアを開けた時にはカウンターにご婦人が一人、カウンターの向こうのご主人とその奥様を相手に話しこんでいた。
ホールのテーブルは全て空いていて、そこにぽつんと座るのもなんだか間抜けなので、私もカウンターに座ることに決めた。
ブレンドコーヒーを注文する。メニューにはもちろんいろいろなコーヒーが載っているが、新しい店で飲む最初の一杯はブレンドコーヒーに限る。
それでそのお店の全てが見えてくるからだ。とても楽しみな瞬間なのである。
豆をどういう風に組み合わせているか。
その割合、ローストの程度、お湯の温度、入れ方、カップの形状と色。
その店その店のこだわりと個性がここに集約されるのだ。
ご主人はペーパーフィルターの縁を丁寧にゆっくり折る。
豆をミルに入れ取り出す。
ミルの掃除をし終えると、お湯の温度を測る。
89度が彼のベストテイストを醸し出す温度なのだそうだ。
フィルター内のコーヒー粉の周辺に、やがて白い饅頭の真ん中にそのお湯を注ぎ入れていく。
このスタイルは彼がこの6年の時間で紡ぎ出したのだろうか。
煎茶のお手前を見る思いだ。
「はい、お待たせしました。」
目の前に出されたのは薄い翡翠色の美しいカップとソーサー。
金津創作の森の中におられる作家の方の作品だとか。
取っ手の指への当たりが優しい。
モカをベースにした美味しい酸味とコクのブレンド!
私が一番好きなコーヒーの味わいである!
「どうしてお店の名前、タブの木なんですか?」
と聞くと、店の隣に生えている樹齢300余年のタブの木から取ったのだという。
ということは、あのタブの木はこの三国湊の興りから今日までをすべて見てきたということか。
大火で焼かれる、あるいは切り倒される危機も乗り越えてきて、その古木は今も静かにそびえる。
初めての探訪なのに1時間半も話し込んでしまったのは、「たぶの木」が居心地がいいからに他ならない。
街なかのカフェ「たぶの木」。
店もマスターもコーヒーも、良い。
週末の閑話休題。
このような時間に揺られるのは何とも心地いいものだ。