福井松平家廟所

森の中の荘厳な「千畳敷」

先日、花菖蒲を見に福井大安禅寺を訪れた。しかしそこで私を待ち受けていたのは花菖蒲だけではなかった・・・まず、寺を取り巻く丘一面に咲き乱れる美しいアジサイの花々が、思いもかけず私を出迎えてくれた。しかしそれはこれから起こる驚きの連続の、ほんの始まりに過ぎなかった・・・

その後、花菖蒲園を散策していた折、ふと小さな門を見つけた。そこには「福井松平家廟所」と書かれていた。どうも森の中に福井藩歴代藩主、松平家の墓所があるらしい。つい最近福井藩初代藩主、結城秀康の記事を書いたばかりだった私は、彼の墓が見られるという予期せぬ僥倖に、小躍りして喜んだ。

しかし、その門には他の情報についても書かれていた。「この柵 ( 門) はイノシシの侵入を防ぐための柵です。柵を開けた後、すぐに閉じていただくようお願いします。」・・・ということは、寺の人間は柵で我が身を守るが、柵を越えて閉め出された私は、イノシシの餌食となる運命だということか?! 丘を登って廟所に辿り着くのに必要なのは、単に健脚のみだと思っていたが、イノシシと戦う腕力まで必要だと分かった今、 行くべきか行かぬべきか、健脚も腕力も持ち合わせのない私にとって、ここが思案のしどころだ・・・と、数秒間「思案」した後、門を開け、門を閉め、私は丘を登り始めた! 人生、欲しい物を手にするためには、時に大博打を打つことも必要だろう!?  ちなみにこの日、私はイノシシに遭遇することもなく、無事に廟所まで辿り着くことができた。しかしこのハイキング道、人けもなく暗いので、登る時には誰かと一緒に行くのが賢明だ。

廟所へと続く小道は静かで、新緑と澄み切った空気に満ち溢れていた。上り坂はかなりきつかったが、そこにいるだけで何とも幸せな気分になった。丘の斜面には所々墓が林立しており、こんな素敵な場所を独占して永眠できるなんて羨ましい限りだ。道のあちこちに「もうすこし、がんばれ!」という立札が立っていたが、もう少し、と祈るような気持ちで丘の上を見上げると、はるか上方にも「もうすこし、がんばれ!」と同じことが書いてあり、気力をくじかれたものだ。

そしてついに廟所に辿り着いた。2メートル程の高さの石柱に取り囲まれた四角形の廟所に、福井松平家歴代藩主の墓が10基建っている。入口に掲げられた標識には、廟所もしくは墓石が ( いずれかはっきりしない)、上野寛永寺の徳川将軍の墓より大きいと書いてあった。事の真偽や如何に?

この廟所は福井松平藩の第4代藩主、松平光通により1659年に建立された。この場所は「千畳敷」と呼ばれているが、実際敷き詰められているのは畳ではなく1360枚の石板である。この廟所に使用されている石は福井の足羽山で産出する珍しい笏谷石 ( しゃくだにいし) で、特徴あるその青緑色の石は、水に濡れると濃い青色に変色する。10基ある墓のうち、最大の墓石はもちろん福井藩初代藩主、結城秀康のものだ。彼は徳川幕府初代将軍、徳川家康の次男でもある。

何世紀もの間、こんな山奥でこの墓石達は青緑色から濃い青色へとその色彩を変化させながら静かに佇み続けてきたのかと思うと、それだけで何やら悠遠な気持ちになり、しばしの間過去に思いを馳せ夢見心地になってしまった・・・ものの、既に日暮れ時、いつ何時イノシシが出現するやもしれず、あわてて丘を下りることにした。

帰り道、有名な福井の歌人、橘曙覧 ( たちばなのあけみ) の奥墓を見つけた。20年前にアメリカ大統領ビル・クリントンが行ったスピーチにより、知名度を得た歌人だ。大安禅寺に来て福井松平家廟所を訪れたなら、ついでにこの歌人の墓にも立ち寄る事をお薦めする。

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